厳しい練習? 楽しい練習? ~厳しさと楽しさは共存できるのか~

昨日はTwitter上で「厳しい練習」と「楽しい練習」どちらが良いのか、というテーマで話が盛り上がることがありました。それを元にしながら、厳しさと楽しさは共存できるのかということについて少し自分の考えをまとめておこうと思います。
「厳しい練習」vs「楽しい練習」というのは、もしかしたらきっと永遠のテーマなのかもしれません。
でも、自分の中では今、「厳しさ」をどう捉えるかなのかで、厳しさと楽しさは共存できるのかなと思ったりしています。
「厳しさ」というと、つい怒鳴ったり、ダメ出ししまくったり、という指導が思い起こされます。個人的には、そういう「厳しさ」は今の子どもたちには合っていないような気がしていますし、倫理的にもあまり良いとは思えません。
だからといって、ただ単に甘やかして、表面上の楽しさだけで終わらせたくもありません。本当の「楽しさ」はある程度できるようになったことが増えてこそはじめて得られるものだと思うからです。
では、なぜ「厳しさ」と「楽しさ」が共存できると思っているのか。
それは、真の「厳しさ」は別のところにあるのではないかと思っているからです。
本気で音楽と向き合っていく中で、その音楽をどこまでも追求していく心が自然と芽生えてきて、それを楽しさと感じられることは多々あります。その追求していく過程で、自分に妥協しない厳しさのようなものが自然に湧いてくるのかなと思うのです。
ここで大切なのは、「自分で気づけるか」ということ、「自分の現状を受け入れること」、「自分から能動的にやろうとすること」です。
自分で「~したい」「できるようになりたい」と思ってする練習は、どんなに地道でつまらなく感じるような練習であっても、楽しさを感じることができます。
でも、「やらされている」練習=他人から強いられたものでは、「厳しさ=辛さ、苦しさ」に感じてしまうのではないかと思います。
hideさん(@saku2427)が次のようなツイートをされていました。
指導者は一流の情報を生徒に与え、生徒がそこまでのぼりつめたいと思わせ、そのための手立てを教え、生徒がその問題を自分のものとして努力を始める。指導者は生徒が昇ってくるのをじっと待ち、生徒を褒めることが大事。されに次の手立てを教えれば生徒はさらに上へと昇っていくだろう。
今自分は、生徒がそこまでのぼりつめたいと思わせるような情報を与えることができているだろうか。
そのための手立てを教えることができているだろうか。
生徒が昇ってくるのをじっと待ち、生徒を褒めることができているだろうか。
常に自分に問いかけ、実行できるように努力していたいし、それがきっと「楽しさ」と「厳しさ」を共存させる鍵になってくるような気がします。
これからもこのテーマについてはいろいろと考え続けていきたいと思います。
(Twitterまとめ)

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