失敗を恐れず、-の動機を+のエネルギーに変えるために ~ソチ・オリンピックを見て感じたこと②~

前のブログでも書きましたが、ソチ・オリンピックでの日本人選手のコメントを聞いていて一番気になるのが「すみません」という言葉です。
確かに結果を期待されていて、そのようにいかなかったら申し訳なく思うだろうし、何よりも自分自身が一番悔しい思いを抱えることになるだろうということは想像できます。
でも、それぞれの選手がこのオリンピックに向けて努力を重ねたこと、精一杯の演技をしたことはそんなに非難されることなのでしょうか。
・・・私は、むしろ賞賛されるべきことだと思います。
何が間違いで何が失敗かということは、判断基準によって異なってくるものです。
だからこそ、「結果」だけを見るのではなく、どのような過程で自分たちが(相手が)何を身につけてきたか、そういうところに目を付けて考えてみると、次にどう歩んでいこうか見えてきます。
ただの努力論、根性論に陥りたくはありませんが、少なくとも正しい努力は無駄にはならないと思います。
だからこそ勝ち負けだけに目を向けずに、その選手のパフォーマンスに賞賛を送りたいと思いますし、選手もできなかったところは悔しいのは当然だけれど、自分の良かったところをちゃんと認めて次に進んでいって欲しいと思うのです。
オリンピックに出る選手の中にはもちろんプロも多くなっているし、アマチュアでもスポンサーがついている選手います。
オリンピックが開催されることでの経済効果や国と国の間での権力抗争、オリンピックの負の部分に目を向けたら確かにきりがないかもしれません。
でも、オリンピックは元々「アマチュアスポーツの祭典」だったはずです。
だから、勝敗も大切だけど、そのスポーツの楽しさ、素晴らしさを伝えられるような大会であってほしいと思うのです。
「ミスしてはいけない」「完璧でなくてはいけない」という負の動機はよほどのことがない限り負の結果を招きます。
「~したい」「楽しいから~する」という正の動機は、その人が持っている潜在能力を最大限に発揮することにつながるような気がします。

若い選手の台頭は、本当にその種目を心から楽しんでやっている証拠ではないでしょうか。
本来、その種目が好きで好きでたまらなくて一流の選手にまで上り詰めたアスリートたちを、メディアを含め私たちは知らず知らずのうちに追い込んでしまっていないでしょうか。
今回のオリンピックを見ていて、そんなことを感じずにはいられません。
これは部活動についてもいえることだと思います。
ずば抜けたエースがいても、メンバー全員がそれぞれ個の力を出し合っている「チーム」になっていなければ、全体としてはエースの調子によって左右されてしまうだけです。
音楽も同じで、どんなにカリスマ指揮者がきたとしても、メンバー一人ひとりが力を出し切ろうとしなければ良い演奏にはなりません。
メンバー一人ひとりの良いところを見つけて、それを活かせるか、引き伸ばせるかが指導者には求められています。それが「チームを育てる」ということなんだろうなと思います。
吹奏楽でもオケでもスポーツでも、部活動は教育活動の一環であるからには、ただ技術を高めたり、試合で勝ったり、コンクールでよい成績をおさめたりすることだけに執着するのではなくて、誰もが「チーム」のかけがえのない一人として生きているのだということを学ぶ場でありたいなと思います。
(Twitterまとめ)

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