「ミスをしてもいいから思いきり音楽をやれ!」 ~吹奏楽指導のあり方を考える~

私が現在トランペットを師事している荻原明先生の「ラッパの吹き方bot」(@Rappa_fukikata)を見ていたら、次のようなツイートがタイムラインに流れてきました。
ミス=悪のような空気感が漂う練習が多いですが、人間だったら誰でもしてしまうものです。それなのに指導者が「ミスするな!」と脅迫するような言葉を浴びせかけることはどうしても納得いきませんし、不愉快です。

楽器演奏におけるミスは犯罪ではないのに、あたかも罪悪人扱いのような空気が漂うことが確かにあります。酷いときには誰かのミス探しが始まって、全体の雰囲気が悪くなることも少なくありません。
人間がすることにミスはつきものです。
確かに入試などではちょっとしたミスが合否を分けることもあります。ミスはできれば防ぎたいものです。でも、一生懸命、どんなに細心の注意を払ったとしても、100%ミスを防げるとは限りません。問題は、いい加減にやった結果のミスなのか、一生懸命やった結果のミスなのか、というところのような気がします。後者は悔いることがあっても仕方のないことです。でも前者は、防ぎようがあったかもしれません。要は、自分の持てる力を最大限まで使って、それでもミスをしてしまったのなら、それは仕方のないことだし、そこにこだわり続けるよりも、割り切って前に進むしかないのだと思います。
音楽は時間の芸術です。出てきてしまった音をどうにかして取り戻すことはできません。だからこそ、いつも全力で音楽と向き合っていくことが大切になってくるのだと思います。その結果、ミスをしたり、外したり、思うような賞がとれなかったりしたとしてもそれは「悪」ではないし、本気でやれば身に付くことは必ずあるはずなのです。
昔聞いた話ですが、某有名オーケストラのトランペットの首席奏者が「展覧会の絵」の冒頭のソロで音を外してしまったことがあったそうです。でもその方はそのミスに動じることなく、最後まで「外したメロディー」をテーマとして吹き続け、あたかもそのような曲に聴こえるかのように吹き切ったそうです。このように機転を利かせることができるところがプロなのだと思いますが、プロだって人間である限りミスはするものなのです。
だからこそ、指導者はミスを過剰に責め立てることはしてはならないのだと思います。「ミスするな!」ではなく、「ミスをしてもいいから思いきり音楽をやれ!」という指導の方が、奏者も自立するしやる気も出るような気がします。そしてそのためのアドバイスとフォローを忘れないこと。肝に銘じたいところです。
たとえそれがコンクールのような場であっても同じです。コンクールでも、一人ひとりの「奏でたい」という思いが全面的に出ている演奏だったら、賞という結果はあくまでオマケであって、どんな賞であっても、ミスがあったとしても、実力を出し切った演奏ができたのならそれで良いのだと思います。

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もちろん金賞を目指すことは悪いことではありません。出場するからには金賞を目指すべきだとも思います。でも、その結果よりも、その目標のために一人ひとりが何を考えて音楽と向き合い、どのように努力を重ねてきたかという過程は何より大事なことのように思います。
あくまでまず楽譜をしっかり読み込んで、いかに書いてある情報を自分のものとして表現していけるか。やらされるのではなく、金賞のためにやるのでもなく、そこにある音楽を自分の持てる力を出しきって奏でることができるか。そんな風に一人ひとりが思って本番に臨めたのであれば、その本番は大成功なのだと思います。
「演奏する意志をもって舞台に立つこと」
少なくとも全員がそんな意志をもって舞台に立てるように、自己肯定感を失わずに、自分たちにしかできない音楽を堂々と奏でられるようにサポートをし続けていける指導者でありたいものです。そして、子どもたちの潜在能力を最後まで信じて、自分自身も頑張っていきたいと思います。
目に見える結果を求めるよりも、目に見えないくらいの小さな成長を見逃さずに積み重ねていくことの方が、結果として揺るぎない実力につながっていくように思います。小さなミスをチクチクとついていくよりも、小さな成長を認めることができるか。指導者こそ、一人ひとりのそんな小さな成長を見つけて、さらに成長するためのヒントを出せるような観察力と判断力を持ち合わせられたらなと思います。
そんな指導が、吹奏楽指導のスタンダードになっていって欲しいなと願っています。

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