空間認識を持って奏でること ~ATレッスン記録~

昨日はThinkingBodyの授業を受けてきました。
そこで改めて自分のThinkingが演奏に与える影響について考えさせられました。
・自分でやってみて、たぶんこうだろうという自分の中の情報がなければ教えることはできない
・空間意識を持っていないと、体が広がっていけない
・演奏しているときに自分を捨てて、お客さんや空間を意識することで自分が本当に意図していることが伝わる
・大事なのは「間違ってもいい」と心を決めること
→「間違わないように」と練習をしていくのか、「間違ってもいい」ということを許して、自分のやりたいことにコミットしていくか
・自分が奏でたい音の方向性やイメージを強くもって、たとえ音が出なかったとしてもやってみる
・楽器を吹いている人の表情を見ていると、どんな音のイメージを持っているかが見えてくる
・頭は大きな空間の中にある。頭がそこにあって、体から離れていこうとするから、体全体がついていくというイメージをしてみる
・いつでもどんな風にでも動くことができる可能性を体にも楽器にも残しておく
などなど、心に引っ掛かったことはたくさんあったのですが、中でも印象的だったのは、アクティビティでピッコロトランペットをみていただいたときの経験です。
ピッコロは本来軽く吹いた方が鳴ってくれる楽器だと思いつつも、音域が高く、楽器も小さいためについ「吹きにいく」ことをしてしまいがちです。
そこで頑張って吹こうと思うと、胸の辺りも背中も張ってしまい、結果として全身で踏ん張ることになって、音を出しにいってしまいます。そうやって出た音は、伸びがなくかたい感じがするし、吹いていてもつらくなります。
分かってはいるつもりでも、ついつい自分もそうなっていました。
先生にハンズオンしてもらって、胸のあたりをゆるめてあげて、背中も少し丸めていいと許して、楽器が口元にやってきて、お客様のいる空間を意識して、吹く。それだけで音は伸びやかになりました。
このレッスンを通じて、自分が思っていた「明るくて軽やかなピッコロの音」というものを出すためには“体で支えをつくって、踏ん張って、楽器をしっかりもって、プレスをしっかりして”ということとは真逆で、音を届けたい方向を意識して、自分から前へ上へ発散させるような感じで吹いてみるといいのだという一つのプランを学ぶことができました。
必要なところに、必要なだけの力をかけることは必要なことです。でも、力んで体を固めてしまうと、思うように音を出すことはできません。頭が動けた上で、いろんな体の部分の可動性がはたらくことを常に意識することで、演奏の質も変わるし幅も広がっていきます。体は“動的平衡”の状態にあることを再認識させられる出来事でした。
自分は化学屋ですが、この世にあるすべての事象が科学的に実証されるとは思ってはいません。もちろんニセ科学に乗じた商法とかはろくでもないと思うけれど、だからといって、何でも科学的に証明できるとは思いません。そこにロマンが残されていると思うし、特に音楽は科学で割りきれないことが多い気がするからです。
その一方で音は振動だし波動でもあるし、ピッチは周波数だし、テンポは速さだし、物理学と音楽の関連性が深いことも分かります。科学的に実証されることと同時に、それでは解明しきれないところがあるのが音楽の楽しみでもあるように思います。だから探究がやめられないのだろうなと。それが音楽の楽しみかもしれません。
そんな自分から見ても、アレクサンダーテクニークというものは宗教がかったものでも、非科学的なものでもないと思います。確かに体験するまでは怪しげな臭いがするかもしれないし、体験してからも信じられない経験かもしれません。でも、少なくとも効率のよい体や心の使い方であることには偽りはないと思います。
感じ方や考え方はいろいろあっていいと思うし、自分もアレクサンダーテクニークだけに固執して物事を語るつもりはないけれど、少なくとも今の自分をプラスの方向に導いてくれたものであり、とことん学びたい対象であることに変わりはありません。
あとは自分がどう使えるようになるか。そこを問い続けたいところです。

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