吹奏楽指導者のあるべき姿とは③ ~子どもたちの力をどこまでも信じること~

昨日は卒業生と話をする中で指導のあり方についていろいろと考えることがありました。今日のブログでは、そこで指導者として自分がこの先どのようにやっていくべきなのか考えたことをつぶやいていきたいと思います。
一生懸命指導をしていると、つい子どもたちが思いつくよりも前に口出し、手出しをしてしまうことがあります。
そうやってどこまでも手取り足取りやってしまうことは、子どもたちの成長を阻害することにつながりかねません。
どこで手を放すか。
きっと、子どもたちの持つ力を心から信じることができていれば、手を放して「見守る」ことができるのだろうと思います。そこで、もし手を放すのが不安ならば、子どもたちを信じられていない証拠なようにも思います。
子どもたちの持っている力ははかりしれないものがあります。
何回躓いたり転んだりしても、這い上がってくる強さがあります。それを信じられずに教育者など務まるはずはありません。
まず自分が信じること。
そこからしか始めることはできないと思うのです。
どういう子どもを育てたいのか。
なぜ自分は教員を目指したのか。
初心に返ってみるしかないなと思うのです。
子どもたちのかけがえのない中高生時代を背負っているという自覚をもっともって、貪欲に学び続けられるか。それができる指導者の元では生徒はどこまでも伸びることができるような気がします。
そうやって自分自身のことも、生徒のことも互いに信じ合えるか。
そういうところに綻びがあると上手くいかないような気もします。
では、どうすれば自分のことも子どもたちのことも信じられるのでしょうか。
それは指導者自身が学び続けることでしかないように思います。
生徒が必死で譜読みをして練習してくるのだから、指揮者はそれ以上の準備をして当然です。時間がないのは生徒も同じです。本当に子どもたちと楽しい音楽の世界をつくりたいのなら、忙しさを盾に自分を甘やかしてはいけないなと思います。
そうやって頑張っていくことで、自分に自信が生まれます。自信を持った指導者の元では生徒も安心して自分を出していくことができるような気がします。
でも、頑張らなきゃと思いすぎると、自分自身を知らず知らずのうちに追い込んでいくことにもつながってしまいます。
頑張ることは大切です。
でも頑張らないことも大切なのです。
頑張るんじゃなくて「やりたいこと思いっきり楽しんでやる」と思えるか。
そう考えて物事に取り組むと、主体的に考えられるようになるし、自分自身を追い込むこともありません。
矛盾しているかもですが、頑張らないで、でも思いっきりぶつかっていきたいなと思います。
初心を忘れず、学ぶことを楽しみに感じながら、生徒のどんな小さな成長にも目を向けて共に喜ぶことができる、そんな指導者を目指して、今日という日も始めていきたいと思います。
(Twitterまとめ)

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