吹奏楽コンクール考⑥ ~『金賞』の意味を考える~

いよいよ今年も昨日から吹奏楽コンクール地区大会が始まり、全国の吹奏楽部が『全国大会金賞』を目指して白熱した演奏を繰り広げる季節となりました。
Twitterなどを見ていても、コンクールに関する投稿が非常に増えてきているように思います。その中で、いくつか気になる投稿があったので、今日はズバリ『賞』について自分なりの考えをつぶやいていこうと思います。
①『金賞』でなければ努力していないのか?
答えはもちろんNoです。
銀賞の学校も銅賞の学校も、自分たちなりにコンクールに向けて努力をしてきたはずです。ただ審査員という人のつけた点数が賞を振り分けているだけのことです。
もしかしたら、もっとやれることもあったかもしれないし、効率のあまり良くない練習をしていたかもしれません。練習不足だと言われてしまえばそこまでなのかもしれません。
でも、必ずどの学校もコンクールを目指して練習を重ねていく上で、できるようになったこと、進歩したことがあるはずです。そのことに「気づく」ことが何より大切な気がします。
フィギュアスケートの浅田選手が、ソチオリンピックのとき、ショートでまさかの大失敗をしたあとにフリーでとてもすばらしい演技を魅せたのは記憶に新しいところです。『メダル』という結果には結びつかなかったけれど、彼女が努力をしてきたことは全世界の人が知るところですし、フリーの演技で感動の嵐を巻き起こしたのも事実です。
まったく練習せずに、毎日遊んで、何となくコンクールに出た、というのなら責められても仕方がないかもしれません。全国大会金賞をとる学校のような血のにじむような練習はできていないかもしれません。でも、それぞれの学校にそれぞれのドラマがあって、必ず練習を通して得たものがあると思うのです。
②本番で自分たちのベストを尽くせたらよいのか?
答えはYesです。
なぜならば、自分たちのベスト以上のことは本番でいきなりできるはずはないからです。
もちろん練習の段階でそのベストの状態をどれだけ引き上げられるかが重要なわけですが、ベストを尽くした結果、たとえそれが『金賞』に結びつかなかったとしても、素直に自分たちの現状を受け入れ、さらに高みを目指すために何が必要なのかを考えることが大切だと思います。
本番は緊張もするし、プレッシャーもかかるし、人によっては8割くらいの力が出せれば上出来と言う人もいます。だからこそベストの力を発揮できたら立派なことだと思うのです。
素直にできたところは認めて自分たちを褒めてあげることも、上達するためには必要なことだと思います。
③出るからには『全国大会金賞』を目指すべきなのか?
私の答えはYesです。
コンクールに出るからにはやっぱり金賞、上位大会を目指す必要があると思う。現実は程遠い状態だったとしても、本気で目指すことには意味があると思うからです。
本気で目指す中で、本気で音楽と向き合い、発見できることもたくさんあります。
私自身、全国大会に出たことはありませんし、金賞というものも地区大会で一度だけ生徒たちのおかげでとらせてもらったことがあるだけですから、偉そうなことは言えません。でも、高いところに目標を置き、それに近づくために何をすればよいのかを考えること、仲間ととことん意見を交わすこと、そして少しでもうまくなりたいと思って練習に励むこと、そういう過程の中で人は成長していくものだと思うのです。
サッカーの本田選手が「目標はワールドカップ優勝です」と言ったとき、“ビッグマウス”と揶揄した人もいましたが、誰に何と言われようと、コンクールに出るからには「全国大会金賞」を目指し続けることも大切だと思うし、そういう「もっと~したい」という向上心を持たせられるような指導が必要だと思います。
でも、何より大切なのは結果を忘れさせるくらい聴き手の心に響く演奏をすることだと私は思います。
自分自身、これまでいろんな学校の演奏を聴いてきて、銀賞や銅賞の学校でも、「自分たちの奏でたい音楽を楽しんで奏でているな」と思う学校もたくさんあったし、代表に抜けた学校よりも美しいサウンドを持った学校もたくさんあります。
『ゴールド金賞』
この言葉には魔力も魅力もあります。でも、たとえ金賞でも銅賞でも、良い意味で記憶に残る音楽的な演奏を奏でたいなと私は思います。

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