ありのままの自分を受け入れて上達する!②

今日も昨日のブログに引き続き、「ありのままの自分を受け入れる」ということについて書き綴っていこうと思います。
誰にでも少なからずコンプレックスというものはあるように思います。
だからこそ、そのコンプレックスに焦点をあてて自己否定に陥ったり、逆にコンプレックスをなくそうと自己犠牲的に努力をしたり、他の面で他人より優位に立てることを見つけて自己満足するのではなく、素直にありのままの自分を受け入れられたらいいなと思うのです。
日本人はどうしても「平均点」が好きで、人と比べて自分はどうかを判断しがちですが、人それぞれに良いところはあって、それはそれぞれ違っていて当然のことです。人と比べて自分のできないところに注目して自己否定に走るよりも、なりたい自分に少しずつでも近づけたら“よし”とできれば、どんなに気持ちが軽くなることでしょう。
今自分が目指したいものはどんなことで、それを実現するためにはどんなことをすればよいかが分かっていて、自分が使える時間がどれくらいあって、その中でどれだけ集中して効率よく取り組む方法を知っているか。人と比べることに労力を注ぐより、自分がどう前進できるかを考えることがとても大切な気がします。
もちろん吹奏楽など集団で音楽をつくっていくときには、ある程度共通した目的が求められることもあります。コミュニケーションを積極的にとるようにして、集団としての目的を明らかにすることも必要だと思います。
でも、そこで自分自身が音楽をやる上で大切にしたいことを犠牲にする必要はありません。
一番大切なことは「自分が実現したい音楽を奏でること」です。
そして、「自分が実現したい音楽とはどういうものかイメージできること」です。
無理をして苦しい思いをして練習を重ねていっても、そういう音になってしまいます。“厳しさ”が楽しさになっているうちはプラスにはたらくこともたくさんあると思いますが、“厳しさ”がつらくなった時点でマイナスのスパイラルに陥っていくように思います。だからこそ、それを自覚して自分自身の練習も指導もしたいと考えています。
出てくる音に集中して、いつも自分が出せる最高の音色で吹けるように意識することも大切なことの一つです。たとえ思うように吹けなくても、それだけは譲らないというように練習すると、ほとんどの場合、無理な吹き方にはなりません。無理して音を出し続けても自分を壊してしまうだけだし、音楽を奏でることにはならないように思います。
また、自分が実現したい音楽がどういうものか分からないという人は、まずいろいろな演奏を聴いてみたり、美しいものを見たり、美味しいものを食べたりしながら、五感を磨いていくといいように思います。それを積み重ねていくうちに、だんだんと自分がどういう音楽を奏でたいのか、自分が聴き手としてどういう音楽を聴きたいと思うのかが見えてくると思うのです。
それをどうやって実現すればいいか、ということはまた次のステップに入ると思うのですが、まずイメージを持てるかどうかは大きな違いです。そして、そのイメージを他からの圧力で飲み込んでしまわないようにすることはもっと大切なことだと思います。
音楽とはコミュニケーションの一つだと私は考えています。音楽というものを通じて、自分の考えていることや抱えている想いを表現し、聴き手と共有する。そういうものだと思っています。だからこそ、どんなに技術的に未熟であっても、音を外しても、自分が届けたいと思う音楽を諦めないことはとても大切なことだと思います。
自分は何のために音楽をやっているのか?
究極の答えはここにあるように思います。その答えに矛盾することなく音楽活動ができているか、それを考えるだけでも、上達する第一歩を踏み出すことになるのではないでしょうか。
またまたまとまりのない文になってしまいましたが、今日はこのへんで。。。
(Twitterまとめ)

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