吹奏楽指導者に求められることとは?

昨日、さとうなおき(@gorituba)さんが、次のような興味深いツイートをされていました。
1:指導者が演奏者の技術と努力に本心から敬意を払う。
2:「揃える」という高度な要求だからこそ、結果的に揃うための「手段」に徹する。
3:要求の種類や方法が、逆に演奏能力を阻害するものになってはいけない。

ともすると日本の吹奏楽界ではこれと逆のことが日常茶飯事になっているような気がします。
1:指導者が演奏者の技術と努力に本心から敬意を払う。
指導者が部員たちの可能性を心から信じることができているか、というのもこれに当てはまる気がします。
相手に限界を勝手につくらないことは非常に大切なことです。誰にだって伸びる可能性はあります。ただその伸び方が人によって違うだけです。自分の伝えようとすること、そして相手の可能性を信じること。忘れてはいけないことだと思います。
同時に大切になってくることが、「指導者が学び続けること」だと思います。
奏者が頑張って楽器の練習をしているんだから、指揮者も指揮の練習、楽曲分析など言い訳せずにきちんと学ぶ姿勢を忘れないようにしたいなと思うのです。
このように指導者が心の底から演奏者に敬意を払うことで信頼関係というものがうまれ、善い音楽づくりにつながっていくのだと思います。
2:「揃える」という高度な要求だからこそ、結果的に揃うための「手段」に徹する。
よく「縦をそろえなさい」という指示を出すことがあります。でも、意図的に縦をずらそうと思って演奏している奏者はまずいないと思います。「そろっていないから、揃えろ」と指示では、奏者は具体的にどのようにしていけばいいのか分かりません。
この場合、「縦をそろえる」ことはもちろん大切なのですが、何のためにどうやって縦をそろえるのかを奏者が考えられると自ずと縦は合ってくることがあります。例えば「ハーモニーを美しく聴かせよう」「ハーモニーが移っていく様子をはっきり聴かせよう」などと言うと結構合うようになるものです。
縦を合わせることばかりに集中して、音楽の流れが止まってしまったら元も子もありません。指揮やメトロノームはテンポを示す一つの指標であって、本当のテンポは体の中からつくりだしていくものです。音楽のノリ、感じ方が合ってくれば、自然に縦も合ってくるのだと思います。常に音楽優先でいけたらなと思うのです。
前に参加したJBAのクリニックで、指揮者に求められるものとして「ボキャブラリーの豊富さ」があげられていました。確かに伝えようとすることをいろんな言い方で言い換えて説明できると、本当に伝えようとすることが明確になってくるように思います。
それと同じように、結果的にそろうための「手段」にもたくさん方法があって、それをどれだけ知っているか、どれだけ引き出しの数が多いかで指導をする際にもその場の状況に一番適した指示を出すことができるように思います。
3:要求の種類や方法が、逆に演奏能力を阻害するものになってはいけない。
これは、非常に大切なことだと思います。
「演奏能力を阻害するもの」、その代表的な例が「ダメ出し」です。
できていないところを「できていない(ダメ!)」と言ったところで、できていないことを一番痛感しているのは奏者自身だと思います。もちろん、奏者が気づいていなさそうだったら言ってあげることも必要なのでしょうが、「できていない、もう1回!」では、いつまでたってもできるようにはならないと思います。
奏者の自信をなくすことばかり言っていても、余計に緊張させて潜在能力を埋もれさせてしまうだけです。どうすれば改善できるか具体的に考え、指示できることが指導者には求められているように思います。
また、鈴木サキソフォンスクール(サックス)(‏@SuzukiSax)さんが次のようなツイートをされていました。
未熟な音楽指導者は、生徒が指示通りに実行できた事自体に満足します。優秀な指導者は、生徒が「良い音、音楽を奏でる」という成果を出して初めて満足します。皆さんにとって指導者の指示は、良い音、音楽を奏でる為のヒントにすぎません。少なくとも優秀な指導者は、そう思っています。
ここまで自分なりの見解を述べてきましたが、要は、指導者だからこそ傲慢にならず、貪欲に学ぶ姿勢を忘れずにいることが最も大切なことのように思います。自分自身も忙しさを言い訳にせず、常に学び続け、それを部員たちに還元していける指導者になっていきたいと思います。
(Twitterまとめ)

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