失敗を恐れずに音楽を奏でる!② ~ミスをすることは「悪」ではない~

定演まであと2日。どんどん緊張感が高まってくる中で、今日のブログも昨日に引き続き「失敗を恐れずに音楽を奏でる」ということについて書き綴っていこうと思います。
ちょうど、鈴木サキソフォンスクール(サックス) (@SuzukiSax)さんが次のようなツイートをされていました。
レッスン中、何かミスをすると「すみません」と謝る生徒がいるのですが、私は謝って欲しいなんて、これっぽっちも思っていません。むしろ「ミスを犯してしまうような指導をして申し訳ない」と反省します。間違える=謝らなければならない、なんて考える必要は全くありませんよ。
合奏中、何かミスをすると「すみません」と謝る光景は、自分が中学生の頃からよく見かけてきたし、自分自身もミスをすると「すみません!」と謝らなければいけないとずっと思ってきました。
特に高校生の頃は、ミスをすると「出てけっ!」と退場を命じられるような部活にいたので、「絶対にミスはしてはいけないもの」「ミスをしないように練習をしなければいけないもの」だと知らず知らずのうちに仕込まれていたような気がします。
そんな風に育ってきたものですから、合奏中「すみません」と謝る生徒がいても、あまり疑問にも感じずに今まで指導を続けてきました。
その考えを根底から覆して下さったのが、バジル先生のレッスンです。
バジル先生のレッスンでは次のような光景をよく見かけます。
受講生: ミスして「すみません!」
 先生: 「誰(何)に謝っているの?」
このやり取りを見ていて、はっと気づかされたことがあります。それは、ミスをして先生に謝ったところで、先生が代わりにミスのない演奏をしてくれるわけでもないし、もし自分に対して「今まで頑張って練習してきたのに肝心の場面で失敗してすみません」と謝っているのであっても、かえって自己嫌悪に陥って、音楽的にはマイナスになってしまうことってたくさんあるのではないかということです。
ミスすることは「犯罪」ではありません。ミスを積極的にしたいか、と言われればそうではないかもしれないけれど、そこに音楽が流れていれば、ミスなどちっぽけなものだと思うのです。
有名なプロのトランペット奏者が、『展覧会の絵』の冒頭ソロで、「GFBCFD~」と演奏するところを「GFBCDD~」と外してしまったとき、最後まで「GFBCDD~」で吹き切ったという伝説を昔耳にしたことがあります。
これは極端な例かもしれませんが、たとえミスをしたとしても、「誰にでもミスはあるものだ」と割り切って、1つのミスをいつまでも引きずってつまらない音楽にしてしまうより、音楽全体の流れを考えて先に進んでいった方が、聴き手の心に響く演奏になるということはいうまでもありません。
結局は自分の意識次第で正にも負にも物事を進めていくことができます。「自分はダメだ」と卑下して小さくおさまるのか、「もっとできるはずだ」と自信を持って歩むか。後者の方が音楽も人生も楽しめるはずです。時々弱気になることがあっても、その原因を探って、できることから少しずつやればいいだけのことだと思うのです。
指揮者も奏者も一人ひとりが大切なパートナー。パートナーのことを信じて、一緒に勇気をふりしぼって前に進んでいきたいと思います。一人じゃできないことも、パートナーがいれば、大きな一歩を踏み出せるはずです。そのためにも普段からお互いのことをよく理解すべく、語り合ったり、気持ちを察したりしながら、共に成長していきたい、そんな風に思います。
そのためにも、謝らせるように仕込む指導より、次どうすべきかを共に考える指導をしていきたい、と改めて思いました。そして、日本の吹奏楽界全体が「謝らせるように仕込む指導」「スパルタ訓練の指導」を見直して、「奏者一人ひとりに考えさせ、共に語り合える指導」へと転換していくといいなと思います。
何年後、何十年後かにそんなことがスタンダードになっている時代を夢見て。。。
(Twitterまとめ)

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