ソチ・オリンピックを見て感じたこと ~芸術と勝負の世界~

すいそohがく さん(@suisohgaku)が次のようなツイートをされていました。
音楽は人によって好き嫌いがあります。すべての人に好まれる音楽演奏は出来ません。コンクールは全てではありません。コンクールに勝ち負けはありません。テレビではやらせている「ダメ金」なんて考え方は大間違いです。演奏者の好きな演奏を極める事で快感が得られます。コンクール至上主義は止めて!

確かにこの意見には共感させられるところがあります。
芸術と勝負。
オリンピックを見ていても思うけれど、その関係性は難しいなと思います。
どのバンド、どの選手にも、その人にしか出せない味があります。
だから、結果として点数がつき、順位が決まったとしても、素晴らしいなと感じる演技はもしかしたら人によって異なるかもしれません。
だからこそ、勝負の世界を通じて個々が成長していく意味はありますが、過剰な勝利至上主義になって、芸術の本質を見失ってしまってはいけないと思います。
コンクールは確かに「賞」という形での結果も大切です。
でも、それ以上にその取り組みを通して、どのように一人ひとりが成長できたかという結果も大切なのだと思います。
その結果を充分に出し切れるように日々の練習があります。
そして、本番をどれだけ楽しめたか、「楽しい音楽の時間」にできたかが大切なように思います。
そういう意味では、少しジャンルは違うけれど、女子モーグルの上村愛子選手が、これまで一段一段上ってきて、最後のステージが4位で終わってしまったけれど、「嬉しくて涙が出てきた」というのは本当に自分の舞台を楽しめたから出てきた言葉だと思うし、自分たちもそういう舞台にできたらなと思うのです。
また、羽生選手の演技も、確かに惜しいところはあるけれど、何度見ても素晴らしい演技でした。
それでも会見で「すみません」と言ってしまうストイックさ。それだけ重圧もあったのだろうと思います。
と同時に、先日バジル先生が「『すみません』って誰に対して言ってるの?」とレッスンのときに仰っていたことを思い出しました。
確かにミスはあったけれど、犯罪を犯したわけではありません。
本来ならば誰に対しても謝る必要はないのです。
敢えて言うならば、それまで頑張ってきた自分に「実力を出し切れずすみません」と謝ったのかもしれませんが・・・。
思考の毒抜きをして、ミスをした自分も赦してあげて、ただ次のパフォーマンスのことを考えて、心から舞台を楽しめたとき、きっとそこには最高の笑顔があるはずです。
「ミスをしてはいけない」と自分を縛るのではなく、「心から楽しみたい」という想いで本番をむかえたいなと思うのでありました。
(Twitterまとめ)

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