一生懸命になること

中学時代のコーチが合奏中にこんな話をされたことがある。
「幼稚園児がタンバリンを叩いている姿を親が喜んで見に来るのは一生懸命やっているから。上手いだけの演奏ならプロの演奏を聴きに行けばいい。それでもアマチュアの演奏を聴きに来て下さるお客様のためにも、一生懸命さだけは忘れちゃいけない。自分ができる精一杯をやれ」
この言葉が今も私の原点だと思っている。
毎日吹けないからこそ気づかされたこともたくさんあるけれど、やっぱり毎日一定の時間、練習ができるのって幸せだなと思う。そして、今だったら、こうやって練習するのにっていうのがあるだけにうらやましく感じるのかもしれない。だから、今の自分にできる精一杯の練習を楽しめる自分でいたい。
思い返してみると、あの頃はあの頃で必死に練習してたつもりだったけど、なんだかんだ言い訳も多かった気がする。上手い人は言い訳しないで謙虚だもんなと思うと、自分に欠けているものに気づかされる…。でも今は今の自分にしかできない音楽を楽しんでいきたいな。
それは、年を重ねていくうちに体験したいろんな出来事だったり、見たもの、聴いたもの、感じたものが増えていった分、表現したいものの引き出しは増えているはずだから。あの頃の自分、今の自分、未来の自分にしかできない音楽ってのもあるのだと思う。
結局、引き出しが増えても技術が伴わないと表現しきれないわけだけど、前にもつぶやいたように、表現したいという想いから技術を磨こうとする自分で居続けることができたら、きっとまだ上手くなれる。そう信じていきたい。
「一生懸命やる」というと根性論に思われがちだが、一つのことを命を懸けるくらい楽しんで、一生愛し続けるために試行錯誤していく過程だと考えるのならば、私は音楽を一生懸命やりたい。
ラッパが好きで、音楽に熱くて、音楽をすることには妥協を許さない仲間と一緒に音楽をつくれる喜び。今、そんな仲間の存在が、私の原動力になっている気がする。純粋に音楽を本気で楽しんでる姿に、刺激を受ける。自分も心から音楽を愛する人間で居続けたい。

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