怒鳴りつけない指導では、甘いのか?

最近、「教師が生徒を甘やかして、きちんと怒ることもできないから、打たれ弱い大人ができあがるのだ」という声を見かけました。確かに甘やかすだけで本質に迫れないのはマズいことです。

 
私自身、物事の本質に迫るような指導ができているかは疑問だらけです。周りの先生方と話をしていると、自分の考えは甘いなと思うこともありますし、生徒からナメられているところはあるだろうなと感じることはあります。「教師」としてはもしかしたら、もう少しビシッとやった方がいいのかもしれません。

 
しかし一方で、怒鳴り散らして黙って言うことを聞かせることが良い指導であると勘違いしてしまうことも怖いことだと思います。自分自身、若い頃は生徒がなかなか言うことを聞かず、授業の度に「静かにしろ!」「いい加減にしろ!」と怒鳴り散らし、部活でも「出てけ!」「本当にやる気あるのか!」と怒鳴ったこともあります。今でこそ笑い話ですが、その頃は教室に戦いに行くような気持ちで行っていたこともあります。

 
確かに客室乗務員が緊急脱出の際、命令形で強い言い方をするように、命の危険にさらされるような場面や誰かを傷つけるようなことをした場面では怒鳴ったりすることも必要かもしれません。でも余程のことがない限りは、怒鳴ったり、必ず言うことを聞かせたりすることはないのだと思います。学校は従順なロボット製造機関ではありません。

 
子どもが言うことを聞かないというときには、いくつかの原因があるように思います。

 
・言われたことが理解できない →かみ砕いて説明し直す
・分かっているけれど納得がいかない →なぜ納得いかないのか聞く
・分かってやっているつもりだけどできない →どうしたらできるようになるかを共に考える
・反発することで構ってもらいたい →別に呼んでじっくり話をする

 
どう対応すればいいのかは時と場合によって、子どもの性格などにもよって変わってくると思いますが、共通して言えることは、ただ一方的に大人の意見を押しつけるのではなく、子どもの思いを聞いた上で、どうするかを一緒に考える姿勢を持つことだと思います。

 
厳しい指導=怒鳴りつけたり、相手を見下す指導ではないはずです。丁寧な言葉遣いでも、言うべきことをきちんと分かるように伝えて、できるようになるまでしぶとく付き合ったり、自ら答えを導くまでしぶとく待ち続けるという厳しさもあると思いますし、それは甘やかしているわけではないはずです。

 
私が尊敬している先生は、余程のことが無い限り怒鳴ることはありません。でも、時間をどれだけかけてでも生徒と向き合い続けます。生徒が悪いことをしても一方的に説教をするのではなく、なぜそれが悪いことなのかを生徒自身が本当に理解し、自分の言葉で説明できるようになるまで待ちます。一緒に面談に入ると、自分までも怒られているような気分になるくらいの迫力があるのですが、生徒が自分の力で成長していけるための「壁」として立ちはだかるその姿は本当にすごいなと思って見ていた記憶があります。

 
人によってやり方は様々ですし、生徒一人ひとりの性格も違いますから、どのやり方が正しいということはないとは思います。ただ、自分はこの先生から学んだことをベースにして、子どもたち一人ひとりが自分で考えて歩んでいけるように促す指導を目指したいなと思っています。

 
部活で言えば、合奏中にどうしてもできないところがあった時、次のような光景を目にすることがあります。

 
「吹けないんだったら、そこ吹くな!」と言って、できない生徒を吹かせない。
「できてない!ダメ!もう一度!」と言って、何度もくり返し吹かせる。
「何度やったらできるようになるんだ!出てけ!」と言って、合奏から追い出す。
「こんな状態で合奏なんかできない!今日はもう終わり!」と言って、指揮者が出ていく。

 
これらの根本にあるのは、『生徒にプレッシャーを感じさせて、必死に練習させること』にあるような気もします。でも、吹かせなかったら「できなかったら、吹かなくていいのだ」という気持ちにさせてしまうかもしれませんし、“どうすればできるようになるか”というアドバイスもなしに繰り返し吹かせたらただの間違いの練習になってしまうかもしれません。出て行かせたところで、練習法が分かっていて、自分一人でできるようになるまで練習できる生徒だったらいいかもしれませんが、必ずしもそうとは限りません。指揮者が出ていったところで、必死に個人練習を始めるかもしれませんが、もはやそれは「音楽のため」ではなく「指揮者を怒らせないため」という別の目的に変わってしまいます

 
限られた時間の中で活動しているわけですから、手っ取り早く子どもたちに言うことを聞かせて、結果を出していった方が傍目にはよく見えるかもしれません。しかし、言うことを聞かせるために音楽を“やらせている”わけでもありませんし、コンクールの結果のためだけに音楽を利用しているわけでもないのだと思います。

 
本来「音楽をする」ということは、楽しいことだと思います。単なるfunの楽しさだけでなく、物事を追求していく面白さ=interestingの楽しさがそこにはあると思います。子どもたちの心は純粋です。発見していく喜び、できるようになった嬉しさを原動力にして、物事を楽しみながら追求していく能力は、もしかしたら大人以上のものがあるかもしれません。だからこそ、『生徒にプレッシャーを感じさせて、必死に練習させる』のではなくて、『生徒が自らやりたいと思って、必死に練習したいからする』ような部活にしていけたら、怒鳴ることも、脅すこともしなくてすむようになるのではないでしょうか。

 
こんなことを書いていると、「じゃ、そのやり方で結果を出してみろ!」とお叱りを受けるかもしれません。確かにコンクールの結果という意味でも、演奏レベルという意味でも、自分は結果を出すことはできていません。ただ、着実に卒業後も音楽や楽器を続けたいと思う生徒が増えていたり、演奏会に駆けつけてくれる卒業生がいたりするということは、他の先生方と作り上げてきた一つの結果でもあるのかなと思っています。

 
世の中にはいろいろな考え方、感じ方があります。気を遣いすぎて言いたいことが伝えられないのは行き過ぎかもしれませんが、同じことを伝えるにも、言い方を考えることは必要だと思います。音楽という表現に携わる人なら尚更のことだと思います。自分自身も発信するときには気を付けたいものです。

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怒鳴りつけない指導では、甘いのか?” への6件のコメント

  1. お前だけ吹くな。ですか。
    小学校のオルガンの授業で、「弾くな」と言われたことがあります。音楽の授業はそれ以来、苦手で嫌いです。カラオケは音が外れても平気で歌いますが。(笑)

  2. コメントありがとうございます。
    幼心に言われた一言というのは、ずっと引きずってしまうこともありますよね。できないことを責めるのではなくて、少しでも良いところを見つけて励ましつつ、もっとできるようになったという実感を得るためにどうすればよいか、共に考えられる指導ができたらなと思います。

  3. いつも楽しく拝見しております。
    「幼心に言われた一言」・・・
    本当にそうですね。
    幼いころピアニストの母親に無理やりピアノをやらされていました。課題のクラシック曲はちっとも心に響かず、母のピアノはうるさくて耐え難く、うまく弾けないと殴られ、甲高い大声で責め立てられました。
    ある日「俺はお母さんの人形じゃない」、といったとき、「人形よ!」、と言われ、とても傷付きました。そしてピアノは11歳でやめました。
    いまは、20歳のときに一人暮らしを始めたのをきっかけに始めたギター、そしてジャズやブルースに夢中です。もっと早く始めていれば、と思います。
    子供にとって音楽は、人との出会い、環境が大事だと思います。そして音楽の基礎的な技術は子供のころに最も伸びると思います。
    価値観を押し付けず、音楽の楽しさを伝えることが教育者の役目じゃないかと思います。
    通りすがり失礼しました。

    • コメントありがとうございます。

      私もそこまで厳しく言われたわけではありませんが、母がピアノを教えていたので、幼い頃はよくケンカになり、泣きわめいて怒られて、10歳でピアノはやめました。奇しくも同じ年にトランペットをはじめて今日に至るので、音楽好きの血は争えないなと思うのですが、今でもピアノを続けていたらと思う反面、ピアノの前に座ると逃げたくなる気持ちは変わりません。

      子どもの性格によって、どう関わるのがいいのかはいろいろあるのだと思いますが、やはり価値観を押し付けないことは大事だなと思っています。と言いながら、自分も生徒たちに価値観を押し付けていないか自問自答の日々です。。。

      今後ともどうぞよろしくお願いいたします。

  4. 返信ありがとうございます。
    昔を思い出してなんだか感情的な愚痴っぽいコメントをしてしまってすみませんでした。お会いしたこともないのに・・。
    オノレイさんのような先生に教えてもらえる生徒さんたちがうらやましいです^^
    それでは失礼しました。

    • いえいえ、コメント頂けるのはありがたいので、今後ともどうぞよろしくお願いいたします!

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