「楽しさ」は強制されるものではない!

これまでも何度となく書いてきたことですが、すべての人にとって「音楽」が「音が苦」にはなって欲しくないと思っています。
何らかの理由はあれど、苦しい中で無理して「音が苦」を続けることで、自分の人生をより豊かにしてくれたり、人生の友として支えになってくれるかもしれない「音楽」そのものが嫌になってしまったり、自分を潰してしまうようになってしまったら、とてももったいないし、残念なことだなと思うからです。
だからといって、いつも必ず楽しみ続けなきゃいけないわけでもありません。楽しさは強制されるものではないし、どんなとき楽しさを感じるかも人それぞれだと思います。
例えば「合奏は楽しくあるべき」「本番は楽しまなくちゃいけない」という声を耳にすることもあります。確かに楽しいに越したことはないですが、それが義務感になると辛くなることもあります。
人の感情は複雑です。好きで楽しいことをやっていたとしても、なかなか思うように上手くいかなかったり、人と比べて劣等感を感じたり、人間関係に悩まされたり、「好き」「楽しい」という感情だけで常に生きていくことは難しいこともあると思います。
私もつい「もっと楽しそうにやろうよ~」「まずは演奏者が楽しまなきゃ」などと言ってしまうことがあります。しかし、自分自身を振り返ってみると、本番は緊張し過ぎてなかなか楽しめる領域までいけなかったし、合奏は先生が怖くてビクビクしていたり、部活の人間関係に悩まされたりして、結局は個人でいろいろ考えながら基礎練習している方が楽しかったなと思ったりもします。それでも、みんなで何かをつくりあげる達成感や本番後の何とも言えない感覚が嫌いではないので、今まで続けているのだろうなとも思います。
自分はどんな瞬間が楽しくて、音楽や楽器のどんなところが好きなのか。頭でっかちになってもいけないかもしれませんが、自分の中にある本当の望みは何かということに向き合ってみると、自分と音楽の関わりが見えてくることもあります。
そうしていく中で、「自分には音楽は必要でないかもしれない」「音楽そのものが嫌い」ということに気づく人もいるかもしれません。その場合は、無理して音楽を続ける必要はないと思いますし、またやりたいなと思うことがあったら、そこから改めてやり直せばいいのだと思います。
でももし「自分にとって音楽は大切な存在」「音楽やっていることは楽しい」などと少しでも思うのであれば、もし今楽しくないことがあったら、なぜそうなってしまっているのかを考えてみると、解決策が見えてくるかもしれません。
技術的に上手くいかない
上達が感じられない
怒られてばかりで練習が辛い
周りからのプレッシャーに耐えられない
人間関係がうまくいっていない
生活自体が忙しくて余裕がない

など、音楽を楽しく感じられなくなる背景は様々だと思います。
しかし、その背景に気づくことから踏み出せることもあるような気がします。
信頼できる先生のレッスンを受けにいく
周りに自分が思っていることを素直に伝えてみる
所属を考え直して環境を変えてみる
生活のサイクルを見直してみる

など、それぞれの悩みに対応した改善策は見つけることができるかもしれません。
なかなか部活動で音楽をやっていると、一筋縄でいかないところもあるかもしれません。でも、無理やり楽しんでなくちゃいけないわけでもないし、かといって苦しみを耐え続けなくてもいいのだと思います。
どうしたら楽しくなるか考えてみることは必要かもしれませんが、楽しめていない自分は悪いと思って責めることもありません。純粋に自分が楽しいと思う瞬間を楽しんでいけたらいい気がします。
自分もちょっとした言葉で生徒を追い込まないように気を付けていきたいと思います。

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