「部活週2休」について思うこと。

先日Yahoo!ニュースのトップ記事に次のような記事が掲載されていました。
「部活週2休」有名無実化 文科省の指針
https://t.co/dQXVgKul8F
確かに制限しないと「やり過ぎ」になって、生徒も教員も疲弊してしまうのは分かるし、決められた時間の中でどう活動すればよいかを考えることも大切なことです。
でも大切なのは規則をつくることよりも運用の仕方だと思います。
活動日を減らしても、効率のよい練習方法が分かっていたり、練習時間に集中して取り組むことができれば、ダラダラと意味もなく時間をかけてやるよりも結果にも表れてくると思います。しかし、ただ時間を減らすだけでは、スパルタ根性論のような指導が減るとは思えませんし、むしろ時間が制限されることでより一律的な指導になる恐れもあります。
もちろん活動時間の在り方について考えることも大切だと思いますが、何を目指し、どのようにそれを実現していこうとするのかという本質をもう少し見直した方がよいのではないかと個人的には考えています。
本気で何かを突き詰めようと思ったら時間はある程度かかるものです。好きで面白い、楽しいと思ったことは「もっとやりたい、もっとできるようになりたい」と思うものだと思います。
自分の話になりますが、中学の時のコーチは「上手くならなきゃ面白くない」という言葉を私たちによく投げかけて下さいました。確かに上手くなってこそできることも増えて夢も広がり、音楽が面白くなってくると思います。楽しい、面白いと思って熱中できる何かと向き合う時間も人生においては大切な時間だと思います。
何事も強制力を持ったものに対してはあまりいい思いをしないものです。制限するにしても、しないにしても、それが強制力を持ったものであるかぎりはどこからか反発の声が出てくるものなのかもしれません。
いずれにせよ、「部活問題」という言葉を聞くと何だか悲しくなります。部活が「問題」になるのではなくて、ただ生徒が自分らしさを出すことができる場の一つとして残しておいて、それを周りの大人たちが協力しながら応援していける環境をつくれたらと思います。生徒が活躍できる場はいろいろあっていいはずですから。
部活命の子もいれば、部活があるから勉強も頑張れる子もいるし、部活で心身ともに疲れ果ててしまっている子もいます。部活へのモチベーションは一人ひとり違って当然です。その中で最低限、共通して目指せるところはどこなのか、目の前の生徒たちと向き合って考えていきたいものです。

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