部活の在り方について考える⑤ ~部活は種まき、どんな花を咲かせるかは指導者次第~

部活の在り方については様々な見解があると思います。
もちろん学校生活の中心は授業であり、部活はあくまで課外活動で勉学を妨げるものであってはいけないとか、課外活動はクラブチームなどの地域で担えばよいという意見も分かります。でも、自分は部活があったお陰で学校とつながりを持つことができた生徒だったこともあり、子どもたち一人ひとりが活躍できる場、安心していられる居場所としても、教員が普段の教室では見せない子どもたちの表情に気付いて、いろいろな視点から一人の生徒を育てるという意味でも、部活はとても大切な場所だと考えています。
しかし残念ながら、勝利至上主義に傾き過ぎて生徒が精神的にも肉体的にも疲弊してしまったり、いじめの温床になってしまったり、顧問が好き勝手に指導をし、せっかくの芽を摘んでしまうことも少なくないことは事実です。教員にとっても、授業準備、委員会指導などの校務分掌、年々個別対応に時間が割かれるようになってきた学級経営なども考えてみると、それに加えて休日返上で部活の顧問をするのは確かに負担も大きいことも分かります。自分自身、好きでやっている吹奏楽部の顧問ではありますが、若い頃のように体に鞭を打ってやるのが正直つらいと感じるときもあります。
それでも、自分が顧問を続けてこられている理由は、周囲の理解と協力はもちろんのこと、「自分を育ててくれた部活への恩返し」の気持ちが強いからかもしれません。そして何より、一生懸命に打ち込んでいる生徒たちを見ると、何とかして一人ひとりの「望み」を実現する手伝いをしていきたいと思うことが原動力になっている気がします。それを誰かに強要しようとは思いませんし、自分自身どこまで続けられるかは分かりませんが、許される限り、頑張っていけたらと思っています。
では、どんな部活をめざしていけばいいのでしょうか。
もちろん答えは一つではありませんが、今のところ自分は次のように考えています。
吹奏楽部に入ったことがきっかけで音楽のプロになる人は少なくありませんが、決して吹奏楽部は音楽のプロ養成機関ではありません。
でも、吹奏楽部は音楽の種まきにはすごく貢献していると思います。
そこでどうやって水をやり、肥料を与え、日光のもとで育てていくか。
それは指導者のあり方によるのだと思います。一気に咲いて記憶に残る花もあれば、じっくり花を咲かせる花もある。自分は後者のような花を育てたいなと思っています。
そのためには、自分一人の力では残念ながらどうしようもないこともあります。外部講師についてはいろいろな考え方があると思いますが、自分は現在来ていただいている外部講師の方にとても助けられています。だからというのもありますが、子どもたちに関わる大人たちが、それぞれの専門性を活かしつつ、責任をもって協力しながら育てていく体制づくりをしていけるといいような気がしています。先日答申された「部活指導員」の学校職員化も必要なことかもしれないと考えています。
まだまだ自分は種を撒きっぱなしで、一つ一つの花が綺麗に咲き誇るまで見守ることができていないかもしれません。自分の育て方は間違っているのではないかと悩むことも少なくありません。ただ、いろいろあがきながら、自分自身も日々成長させてもらっていることは間違いありません。
その中で、卒業してからも音楽をかけがえのないものとして思ってくれていたり、そこで培った絆を大事に思ってくれている生徒がいると、まだまだ頑張らなきゃなと勇気づけられます。
そう思えることは本当に有り難いことだなと改めて思います。
その感謝の気持ちを込めて、また明日から頑張ろうと思います。

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