部活動のあり方について考える④ ~指導者のスタンスはあくまで「学習者」であること~

最近、Twitterのタイムラインに顧問の暴言や理不尽な指導などの話題が流れてくることが増えてきたように思います。その度に「そういう先生たちばかりではないのにな」とと悲しい気持ちになるものです。
そんな自分も生徒のことを怒鳴ったことが全くないわけではありません。若い頃、どうしても言うことを聞かなかった生徒たちを鎮めるのに精一杯で、大声をあげたことは何度もあります。しかし今思うとそれは、ただ自分の力不足を叫んでいるようなものだったように思います。力不足な教員だったからこそ、子どもたちはそれを見抜いて舐めてかかっていたのだなと。
教員をやるからには授業もクラスも部活も同じで、目の前の生徒とどうやって向き合うかが大切です。もちろん部活は課外活動ですから、従来の教育活動に加えて行われるものではありますが、生徒たちと向き合うというところに変わりはありません。
教員も人間です。教科の授業をこなし、学級経営をし、校内分掌をいくつも担当し、会議もたくさんあり、さらに部活指導となると、実際体が空かないのも事実です。確かに精選すべきところはすべきなのかもしれません。でも目の間に生徒がいる限り、私たち教員というやつは、その子たちのためにできることを何とかしようじゃないか、と思う人種なのだと思います。
ただ甘やかせばいいというのでもなく、でも一人ひとりの望みに耳を傾け、どうしたら実現できるかを共に考えたり、今目の前で起きていることを繊細に感じ取って対応しようとすることができるか。自分の引き出しを増やすことを楽しんで続けられるか。そこに「指導する」というものの鍵がある気がするし、それは、教科でも学級経営でも、部活動でも同じことのように思います。
現に、吹奏楽部の指導で実績を残されている先生の多くが、教科指導や学級経営でも力を発揮させています。それは恐らく、生徒とどのように信頼関係を結んでいくか、集団をどのようにまとめ、やる気を引き出していくか、という点ではクラスでもクラブでも根本にあるものは変わらないからだと思います。
たとえ音楽のプロではなかったとしても、吹奏楽部の顧問として、音楽を一緒に心から楽しみ、一緒につくりあげる喜びを分かち合うことはできるはずです。そこに暴言も理不尽な指導もいりません。できないならできないなりに、一生懸命学び続ける背中を生徒たちに見せていくことも十分私たちにできることのように思います。
このように、何かに熱中してがむしゃらにやることはとても大切なことです。
しかし一方で、休まずに走り続けると心身ともに潰れてしまいかねないし、一旦潰れたら復活するにはそれなりの時間がかかるものです。いわゆる「燃え付き症候群」にならないように、ちょっとずつ、自分のペースで歩いていけたらいいのかもしません。
やっぱりそれでも頑張ろうと思えるのは、生徒が楽しそうに吹いている姿を見たり、ちょっとずつでも上達しているのが分かったりするとすごく嬉しいし、卒業してからも練習を見に来てくれたり、様々な方面で音楽を続けていてくれたりするのもまた嬉しいからなのかもしれません。
そんなたくさんの喜びをもらうことができて幸せなのです。自分の楽しみや喜びだけでなく、他人の喜びも一緒に分かち合うことができるのですから。。。
そのためにも学び続けること、自分自身の引き出しを増やしていくことを大切に一歩一歩歩いていきたいと思います。

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