「望み」に立ち返って音楽を奏でるということ

何をするにしても、まず初めに自分の「望み」がどこに向いているのかを把握すること、そしてその「望み」を中心にして、目的を実現していくために具体的にどんなプランを立てて進むのかを考えることは大切ことのように思います。
そのように思うようになったのは、アレクサンダー・テクニークやコーチングを学ぶようになってからです。自分自身では気づかなかった「望み」に気づいた瞬間、自分でも止めることができないエネルギーが湧き起こってきて、自分でも考えられないような行動に出てみたり、思わぬ好結果に恵まれたりすることがある。そんな経験を積み重ねていく中で、人が持つ「望み」の強さというものをじっくり考えるようになりました。
でも同時に、いざ自分が音楽をやる上での「望み」は何だろうか? と考えてみると、立ち止まってしまう自分もいました。
それは、自分が何かをしようとする時の動機は「負けたくない」「このままだとヤバい」という思いであることが多かったように感じたからです。確かにそれも自分の中にある「望み」であることには違いません。でも、考えてみるとそれは「他人」という定規が基準になっていて、本当の意味で自分自身を高めようとする動機ではなかったように感じたのです。
あくまで「自分がどう奏でたいのか」という、その望みが大切なのだよな。
そんな風に思ったとき、自分が本当にやりたい音楽とはどんなものなのか、自分の中にはあるはずなのに、「これ」とはっきり言えるものがなくて、周りの人が活き活きと音楽を奏でているのを見るととても眩しくて、逆に大きな不安にかられたこともありました。
でも、いざトランペットを吹き始めると、もっと心の中にある音楽を思いきり奏でられるようになりたいと思うし、そのためにもやっぱりもっと上手くなりたいなと思う自分がいることもまた事実でした。
では、心の中にある音楽ってどんな音楽なのだろう? そう考えたとき、次のようなことが浮かんできました。
・作曲者がどんな想いを込めて描いたフレーズなのかを考えて、音で世界を表現したい
・自分が今抱いている様々な感情を、音楽にのせて伝えられるようになりたい
・柔らかい音色で、あたたかく人を包み込むような音楽を奏でたい
・トランペットらしく勇ましく格好良く、パリッと決められるようになりたい
など…
抽象的なことばかりかもしれませんが、そんな風に奏でられるラッパ吹きを目指して、少しの変化も喜びに変えながら成長していきたい、それが自分が音楽と関わっていく上での「望み」であるのだなということに気づくことができました。
そしてその望みを実現していくためには、曲について深く知ることはもちろんのこと、今まで面倒くさがって逃げてきた音楽理論を基本から学ぶこと、自分自身が持っている引き出しを豊かにする経験を積み上げていくことが必要なのだなと改めて突きつけられたような気がしました。
そのための手段の一つとして自分は今、ラッパやアレクサンダー・テクニークのレッスンを受けています。
しかしどんなに素晴らしい先生のレッスンでも、そこから何でも吸収してやろうとする貪欲さや、自分のものにするための努力がなかったら効果は半減以下になってしまうものです。レッスンを受けることで満足しないこと。レッスンで得たことををヒントに、自分自身で探究していってこそ大きな成長があるように思います。そこを忘れないようにしていきたいところです。
「自分の望みは何か」
それを明確に持った上で受けるレッスンは吸収力が違う気がします。もしかしたら先生の持っているものを最大限まで引き出す力を持っているのかもしれないとも思うくらいです。「とりあえず上手くなりたい」という気持ちも大切だけれど、もっと具体的にどう奏でたいのか、レッスンを受けるにしても、「教えてもらう」という受け身な姿勢ではなく、自分から「こうしたい」と思えるものを持って臨むことはもっと大切であるような気がします。
大きなことでも小さなことでも、核になる「望み」さえあれば、必ず道は拓ける気がしてなりません。
そう信じて、常に自分の「望み」はどこにあるのかを問いかけながら、少しずつ、前に進んでいきたいものです。

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