根性論はなぜ根深く残っているのか

昨日のブログにも繋がるかと思うのですが、今日も「根性論」について自分が考えていることをつぶやいていこうと思います。
もともと日本で根性論が根深いのは、儒教的な「目上の者を敬う」という思想(それ自体は悪いことではありませんが)と、戦前戦時中の軍隊式教練が元となっているような気がします。
「できないのは根性が足りないからだ!」
といってスパルタ根性論がその後も長く残っており、それに耐えた者のみが大成するということが長いこと信じられてきました。
しかし、野球の世界で見てもわかるように、甲子園で燃え尽きてしまい、プロに入ってからは故障続きで、本来の才能を開花することなく引退に追い込まれてしまった選手も少なくありません。
最近ではそういうことが見直され、科学的な見地からも練習方法や指導方法が研究されるようになってきました。インターネットなどの普及により、様々な情報も簡単に手に入るようになりました。
それでも、根性論が部活で横行しているのはなぜでしょうか。
一番大きい理由は、指導者の勉強不足だと思います。目の前の生徒に応じた指導法を知らないから、自分達が受けてきた根性論に基づいた指に頼ってしまうのだと思います。
確かに教員の仕事は多岐にわたっており、一番重要である授業研究の時間さえも不足していることが多く指摘されていますし、自分自身もそれを感じることはあります。
しかし、目の前で本気になって頑張っている生徒がいる限り、私たち教員も学び続けることが責務であるような気がします。
自分自身への自戒も込めて、根性論に頼らず、生徒一人ひとりをかけがえのない一人ひとりとして大切に育てていけるように、学ぶことを忘れずに続けていきたいと思います。

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