プレッシャーをどのように味方につけていけばいいか?

私は中学時代、たまたま人数の少ない吹奏楽部に所属しており、一時期トランペットが1人になってしまったこともあって、中1の終わりから1stを吹くことが多く、そのまま高校、大学でも何となく1番吹きとしてラッパ人生を送ってきました。今では自分は人に合わせたり、下で支えたりする2nd, 3rdの方が好きだなと思うのですが(笑)
1番ラッパと言えば、吹奏楽でもオーケストラでも花形、野球で言えばエースピッチャー、サッカーで言えばエースストライカーみたいなものです。それだけに成功したときは誰よりも「やったぜ!」という気持ちになれる反面、失敗したときにはその影響力は大きいものがあるのも事実です。自分自身、アンケートや講評に「トランペットの1番、音色が素敵でした!」と書かれたときはとても嬉しかったですし、一方で「1番ラッパ、メロディーで音は外さないように」と書かれてえらく落ち込んだ記憶もあります。
Twitterなどを見ていると、コンクール直前になって、1番ラッパに限らず、全国の吹奏楽部のみなさんも同じようなプレッシャーに悩まされていることもあるようです。というわけで今日のブログでは「プレッシャー」について自分なりの考えを書いていこうと思います。
まず、「プレッシャー pressure」という言葉には元々どのような意味があるのでしょうか。
国語辞典と英和辞典で調べてみました。
●ベネッセ表現読解国語辞典(Benesse)
 精神的な圧迫。圧力。重圧
●エースクラウン英和辞典(三省堂)
 ①圧力;押すこと
 ②せまられること、プレッシャー、圧迫、強制、重荷;切迫;苦悩
つまり、何かによって精神的に圧迫をかけられ、重荷を背負った状態、苦悩に満ちた状態を表すと考えられます。
具体的には、
「上手く吹かなくてはいけない」
「ミスをしてはいけない」
「音を外してはいけない」
「ソロを決めなければいけない」
など、「~いけない」=“have to”思考にはまってしまっている状態を指します。
でも果たして、必ずしもその「~いけない」は「そうでなければならない」のでしょうか?
答えはNoです。
もちろん、上手に吹けた方が気持ちがいいに決まっています。
でも、「ミスをしないように」とガチガチになって吹いた音はかたく、ブレンドしない音になってしまいますし、第一、吹いている本人が表現しようとしている音楽を奏でるにはほど遠い状態になってしまいます。また、コンクールにおいてもソロは余程上手に吹けば加点対象になるけれど、外したくらいでは減点対象にはならないという話も聞いたことがあります。
つまり、自分が思っているよりもプレッシャーを感じる必要性はないし、むしろ“失敗はあるもの”と仮定して、自分の思うように自由に演奏した方が演奏効果は高いといえるのです。
かといって、すぐにプレッシャーを取り除き、自分の思うように演奏できるのだったら苦労はしません。
もしかしたら逆に、「プレッシャーを感じちゃいけない」という、“いけない二重苦”に陥ってしまうこともなきにしもあらずです。
自分のラッパ人生の中でも、そういう“いけない二重苦”に陥ったことはありますが、一番酷かったのは大学4年生の時に吹いたヘンデル『メサイア』のアリア「The Trumpet shall sound」のピッコロトランペットソロでした。このソロのためにバイト代をはたいて楽器を買い、レッスンにも通い、全てを懸けて臨んだ本番。そんな気合いが空回りしすぎて、全身がガクガクブルブル、吹いていると楽器が身体から離れていくような感覚にまで陥るほど、完全に「プレッシャーを感じてはいけない」というプレッシャーに負けてしまった本番でした。アンケートにも「トランペットのソロ、来年はプロを呼んできた方がよいのでは?」と書かれてしまい、本番後1週間くらい廃人になったように完全に無気力な状態にまで陥りました。
そんな経験をした私ですが、最近アレクサンダー・テクニークを学ぶようになって、少しずつ自分にプレッシャーをかけないようになってきました。
「自分はこんな演奏がしたい」
      ↓
「そのためにどんな練習をすれば良いか」
      ↓
「奏でたい音楽のために、これだけの練習をしてきた」
      ↓
「今出せる力はこれだけ。本番でいきなり今以上の力が出せることはない。なら精一杯楽しんでしまおう」

この単純なサイクルの中で、ありのままの飾らない自分を受け入れ、変に格好つけずに音楽を心から楽しんでいくと、自然とプレッシャーから解放されるのです。
ある意味開き直りと感じられるかもしれませんが、やってきたこと以上の力は出すことができません。だからこそ、本番までは自分にできることをできるだけ見つけて、一つずつクリアしていく努力は必要だと思います。でも、本番を迎えてしまったら、あとはやり残したことに焦点を当てるのではなく、今まで努力してきたことを信じて、音楽に入り込み、心から音楽を楽しむだけなのだと思います。
また、あの『メサイア』の時の全身の震えは、それだけいい演奏をしたいという思いが強かったからこその武者震いであって、そのパワーをすべて演奏に使うことができれば、素晴らしい演奏ができるのだということも知って、自分の中にはまだまだ潜在能力が隠れているんだ、と少しずつ自信を持つこともできるようになりました。
ソロの時に緊張して震えるという人は、無理に震えを止めようとせず、自分にはそのソロを吹ききるだけのパワーがあるのだと信じて、「思い切り外れてもいいから奏でたい音楽を奏でる」と思って演奏してみるといいかもしれません。
コンクールまであと1ヶ月。
1回1回の練習を大切に、できないことがあっても卑屈にならず、できるようになったことに“気づく”ことを大切にしながら、自分にできる精一杯を積み重ねていけたらよいのではないかなと思います。
(部内通信草稿)

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