吹奏楽コンクール考② ~その指導のあるべき姿とは?~

これまたたいそうなタイトルをつけてしまいましたが、前回に引き続き「コンクール考」なるものを書こうと思ったきっかけは、MASA☆(‏@MASA_Music)さんのつぎのようなツイートを見たのがきっかけです。
想像してみて下さい。
音楽の楽しさを知らずコンクールで勝つ事だけを目標に苦しい練習に耐えた生徒が吹奏楽を指導する立場になり同じ事をグレードアップさせながら繰り返す未来を…
この様な世界では音楽は絶滅してしまうでしょう。
極端な例え話と笑える事を願っています。

音楽の楽しさを知らないまま指導者になるなんて…って思うけれど、実際コンクールに勝つことこそが青春で、そこでしか味わえない苦しさや苦労こそが人生の糧になると思っている指導者って、もしかしたらいるのかもしれないと思うと恐ろしいものがあります。
もちろんコンクールで成長できることもたくさんあります。
あんなに長い時間をかけて2つの曲に全身全霊をかけて、細かいところまで練習を積み重ねていける機会など、コンクール以外にはなかなかないとおもうし、それだけに曲の深いところまで掘り下げていく楽しさを追求できる良い機会でもあると思います。
だから私もコンクールを全否定する気はまったくありません。
でも、極端に「コンクール至上主義」になっていくのは怖いなと思うし、「スパルタ吹奏楽」こそ天下というのがスタンダードになってしまう世の中はは避けたいと思います。
それはあくまでも「一般・職場の部」を除いては、吹奏楽コンクールは学校教育の中で行われている部活動の一環で行われていることにすぎないからです。
学校教育の一環である以上、最大の目標は「生徒一人ひとりの心身ともに健やかな成長」にあると思います。これなしに、本来「教え育てる」はずが「脅し従わせる」になってしまったら元も子もありません。
生徒の持っている可能性を押しつぶさずに、いろんなアプローチをかけて引き出し、それを伸ばしていくサポートができるのが本当の教師のあるべき姿のように思うのです。
ただ甘やかしたり、生徒に任せればいいというのではありません。
生徒の自主性を本当に育んでいくためには、それなりに生徒の活動を予測して準備を重ね、すぐに手を出してしまいたくなるところを飲み込んで、「今、どうすればいいか」ということを子どもたちに問うていくことが大切だと思います。自主性を高めていくためには、実はスパルタでバシバシやるよりも、忍耐力と手間、時間がかかるものです。
鈴木サキソフォンスクール(サックス) ‏(@SuzukiSax)さんが、次のようなツイートをされていました。
合奏の指導者をランク分けするならば・・。
①一流の指導者⇒各奏者の演奏意欲、想像力、演奏力を引き出す
②そこそこの指導者⇒それっぽい演奏にまとめる
③ビミョーな指導者⇒譜面上、正確な演奏になる事を過剰に求める
④最低の指導者⇒奏者のミスばかり責め続ける

意外と「スパルタ吹奏楽」で多く見受けられるのは④の指揮者です。
自分にも他人にもできないところをダメ出しするとどんどん前向きな気持ちが削がれていってしまう。だからこそ「できないところをできるようにする」のではなく、「できることを少しずつ増やしていく」と同じことでも気持ち良くできるように思う。「良い出し」をすることってとても大切なんです。
私ももちろん①を目指したいけれど、まだまだ②と③の間くらいだなぁ…と思います。もっと自分自身が勉強すること、もっと部員たち一人ひとりとしっかり向き合うことをやっていって、最高の指導者になりたい。今、そんな野望を抱いてみています。
これから吹奏楽コンクールの季節がやってきます。
吹奏楽コンクールが「スパルタ吹奏楽」の温床になるのではなく、子どもたちがやりたい音楽をやるためにはどうすればいいか、試行錯誤を繰り返しながら心身と共に成長していける場になるように祈るばかりです。
(Twitterまとめ)

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