しみ込んだ吹奏楽“根性論”からの脱却 ~新たな部活の在り方を求めて~

たいそうなタイトルをつけてしまいましたが、この記事を書こうと思ったのはアレクサンダー・テクニークのレッスンがきっかけでした。
先日のバジル先生のレッスンで、その場でいきなり思い立ってラッパではなく指揮を見て頂く機会がありました。
急遽私の指揮で合奏することになり、緊張もしましたが参加者みんなで合奏するのも楽しいなと思いました。
そこで指摘されたのは「吹奏楽癖」のことでした。
その癖とは、左手のポジションや右手もつい大振りになるのという、「こうあるべき」という固定概念が、指揮をわかりづらくしてしまっているということです。
バジル先生に手を添えていただき振ってみると、それまで合わなかったタテの線がピッタリはまるように…。
知らず知らずのうちに、自分がやってきた「吹奏楽」というものの殻の中に自ら閉じこもっていたことに改めて気づかされました。
日本の部活の中には、それぞれの部活で「暗黙のルール」みたいなものがあって、“それをしないといけない”という意識を徹底的にたたき込まれる傾向があるように思います。でもこれからは、もっと理にかなった方法を模索していくことも必要なのではないか、そんなことを考えさせられました。
先日の源三先生の演奏じゃないけれど、「音楽を奏でたいから、奏でたい音楽を実現するために、奏でる」ということが一番大切で、その方法や解釈はいろいろあっていいと思うし、本当は何かにこだわることもないように思います。
でも、実際の吹奏楽界では、まだまだ「根性論」のようなものが残っていて、時には泣きながら練習させられたり、苦しい練習に耐えることこそが上達の道と言われたり、高い音がでないのは気合いが足りないからだと言われたりすることも少なくないのではないでしょうか。
もちろん、「やりたい音楽を実現する」ために、根気(地道な努力)は必要ですし、集団で演奏するわけですから、常に自分のやりたいようにはできないかもしれません。
しかし、「やりたい音楽を実現する」ために必要な方法は一つではありません。その集団にとってどのような方法が良いのか、常に指導者はいろんなチャレンジをしていくべきだと思うし、奏者一人ひとりも自分の思うやり方を提案しながら模索していくことも大切なことだと思います。
そのような部活(あるいは楽団)をつくっていくためには、まず集団の中での信頼関係の構築が最も大切になってくると思います。それは、「ここでなら自分の意見を安心して言える」という雰囲気をつくっていくこととも言えるかもしれません。
育ちも考え方も違う人がたくさん集まっている集団ですから、絶対的な信頼関係を築くことや、いざこざが全く起こらないようにするのは至難の業です。特に一般の楽団の場合は、自分の価値観が形成された大人が集まっているわけですから、余計に難しいところもあるかと思います。
その上で、それでもいい関係をつくりながら、「やりたい音楽」を実現するには、やはり一人ひとりの中にある「want to」に頼るしかないのかもしれません。
「自分たちの音楽をぶち壊したい」と思って音楽をやっている人はいないはずです。
(自分たちの殻を破りたいという意味ではあるかもしれませんが…)
「やりたくない音楽をやされれる」ために音楽をやりたいと思う人もいないはずです。
結局行きつくところは、「やりたい音楽をやる」ためには、どのような関係づくりが必要で、どのような練習が考えられて、どのように行動すればいいかということを、集団の中で共有していくことのように思います。
その過程でもしかしたら、やっぱりつらい思いをしたり、嫌な思いをしたり、我慢しなければならない場面も出てくるかもしれません。それでも自分が今どのように感じ、どのように考えているのかということを分かってもらったり、受け止めてもらえたりするだけで気持ちはだいぶ楽になるものです。
私自身、子どもたちの気持ちを一人ひとり丁寧に受け止められているかと言えば、残念ながらそうではないし、まだまだ根性論に頼ってしまう時もあります。でも、少しずつでも、子どもたちの「want to」の声に耳を傾け、みんなで「やりたい音楽をやるために、奏でる」一人ひとりになっていくためのサポートをしていきたいなと思うのです。
と言いながら、今度は「良い集団づくりをしなくてはいけない」という教員の固定概念に縛られている自分にも気づいたりしたわけですが、時間はかかるかもしれませんが、せっかくの“気づき”を大切に、細々と頑張っていこうと思います。
(Twitterまとめ)

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