義務感>楽しさになったとき ~誰にでも波はある~

以前、合奏中に「今、心から演奏することが楽しいと思っている人!」と聞いてみたことがあります。
その時は、数人が手をあげてくれました。
そのように聞かれて、私に怒られるのではないかと思って手を上げづらかったのかもしれませんが、やはりどうしても「義務感 > 楽しさ」になってしまっている人も少なくないのだな、と改めて感じた出来事でした。
「義務感 > 楽しさ」になってしまう気持ちは、私にもよく分かります。
今まで20年以上ラッパをやってきて、いつも楽しかったかと聞かれたら、正直なところ、義務感の方が強くて、練習を苦痛に感じたこともたくさんあります。
では、どんなときにそのような思いになるのだろうかと考えてみると、「自分が思ったように吹けない」というのが断トツの原因だということに気づきました。
自分の今の技術では到底こなせないような難しい譜面を目の前にした時、何度も何度も繰り返して時間をかけて練習しているのにできるようにならない時、ひたすら指揮者に怒られた時……子どもたちにはいつも偉そうなことを言っていたりもしますが、楽器を吹くことが苦痛だなという思いが強くて、練習から逃げたくなることは今でもあります。
それでも私が楽器を続けているのは、それまでのつらさが報われたなと思える瞬間があったから、たとえば本番でみんなで音楽を作り上げたという爽快感や感動が忘れられなかったり、お客様からの大きな拍手に励まされたりしてきたからなのかなと思います。
だから頑張れ、というのではただの根性論になってしまうので、今日は、どうしたらその充実感を得られるような音楽、つまりお客さんの心に響く音楽を作り出すことができるのか、ということをつぶやいていこうと思います。
Band Journal 2013年2月号に「『聴衆の心に響く音楽』を考える」という特集で、いろいろな音楽家の方の声が紹介されていたのですが、特に心に残ったお二人の言葉があります。
まず、作曲家の後藤洋さんの言葉です。
「音楽を創り、奏で、聴くことを愛する私たちは、身の回りの、心を動かしてくれるささやかな出来事、ささやかな共感、ささやかな美しさ、ささやかな喜びに目を向けたい。本当の感動は、たぶん私たちの日常の中にあるのだ」
私はこの「ささやかな」という言葉が大切だと思っています。「感動」というと特別な感情に思えるかもしれませんが、日常でのちょっと嬉しかったこと、ちょっと悲しかったこと、ちょっと辛かったこと、こうした感情が、表現をするときに大きな助けとなることはたくさんあります。だからこそ、中高生という感受性の強い時期にいる子どもたちには、目の前で起きている“日常”を当たり前のこととして見逃さず、毎日どんな小さなことでもいいから1つは心に留まることを見つけて欲しいなと思うのです。その積み重ねは必ず糧になるからです。
またトランペット奏者の北村源三先生は、
「人の心をつかむ音楽とは何か…。それはある程度、理論的に分析することは可能かもしれません。でも音楽はそんな単純なものではなく、舞台に立つ人間の複雑な感情が交錯することで魅力的なものになるのです。ぜひ音楽に真摯に向かい合い、そこからインスピレーションを受け、自分の想いを必死に、命がけで音楽にのせて下さい。きっとその音楽は、聴く人の琴線に響くものになることでしょう」
とおっしゃっています。
北村先生は、大学時代から私もお世話になっていますが、口癖は「トランペットで(想いを)歌うんだよ」「楽器をあてて、(想いを)叫ぶんだよ」という熱い方で、レッスンの時にたとえ上手く音を外さずに吹けなかったとしても、自分がこう吹きたいんだと、こちらが必死にやろうとさえしていれば、怒らずに、そのように演奏するためにはどんな技術が必要で、どんな練習をしていく必要があるのか、とことん一緒に話をして下さいます。逆に、何となく失敗を恐れて、自分の主張のない演奏をすると、譜面上間違いがなかったとしても、ものすごい勢いで怒られた記憶があります。それはきっと、「音楽は心」だということを身にしみて感じておられるからなのでしょう。自分の気持ちを人が作り出すことができないように、自分で「こうしたい」という想いがなければ、音楽は成り立たないのです。
つい、目の前の本番を成功させることや、目の前の譜面をさらうこと、先生や先輩に怒られるからやらなくては・・・といった様々な理由で楽器を吹くことが義務感に思えてしまうこともあるかもしれません。
そういうときこそ、自分がなぜ音楽を続けているのか。そもそも、初めて楽器を手にしたときどのような思いだったのか、そういったことをいったん立ち止まって思い返してみるのも良いように思います。
やっぱり同じ結論になってしまうのですが、「音楽は心」からはじまります。自分の気持ちは音に表れます。勉強、部活と何かと忙しい学生生活、ましてや社会人になってからはそんなことを思い返している余裕はないかもしれません。でも、義務感に思えてつらくなって、本当に音楽が嫌いになってしまいそうになったら、いったんその場から離れて、冷静に音楽と向き合うことも必要なのかと思います。
人間、誰にでも波があります。
その波に揺さぶられつつ、「音楽が好きだ」という気持ちを貫いて、細々とでも楽器を続けてくれる子どもたちが一人でも増えるような指導を心掛けたいなと思います。
本当に「音が苦」になってしまってからでは遅いですから・・・。

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