「合わせる」のではなく、「自然と合う」 ~ウィーン・フィルから学んだこと~

昨日、ウィーン・フィルの演奏会を聴いてきました。

プログラムはベートーヴェン先生の交響曲第8番、第9番「合唱付き」。

とにかく「すごい!」としか言えない演奏会でした。終演後の割れんばかりの拍手、「ブラボー」の叫び声、スタンディングオベーションで迎えられる指揮者。きっと初演のとき、もはや耳が完全に聴こえなくなっていたベートーヴェンが目にした光景は、こんなだったのだろうなと思わせる程の熱狂的なものでした。

それと同時に思ったのは、「この熱狂的な空間」を自分たちの手でも作り上げて、子どもたちにも体験して欲しいなということです。自分たちの演奏が終わった時に、ホールが一体となって大きな拍手に包まれる。そのような瞬間を子どもたちにに味わって欲しいと、改めて思いました。

では、どんな演奏だったのかというと、先ほど書いたとおり、本当に「すごい!」としか言いようがないのですが、あえて言葉にしてみると、“個がそれぞれ思い切り歌っているのにそれでもってアンサンブルを超えたアンサンブルが成り立っている”という感じでしょうか(意味不明な文でごめんなさい。でも、本当にそんな感じなのです)。

でも、明確に言えることとしては、「楽器を吹く(弾く・叩く)じゃなくて“歌う”」「一人ひとりが楽器を十分に響かせた状態で“合う”」とはまさにこのことだなということです。

オーケストラの一人ひとり、合唱の一人ひとりが、体の底からパワーがわき出てくるように自分の音楽を奏でている。金管楽器もものすごく鳴っているのに柔らかい音色でオケ全体を壊さない。木管楽器も大勢の弦楽器の中に埋もれずに堂々と素敵な音色で歌っている。弦楽器も地の底から響き渡るようなフォルテから、本当に繊細なピアノま表現されている。弓も踊っている。体中からそれぞれの音楽があふれ出ている。それでもって指揮者も大げさに合図を出しているわけでもないのに、旋律の引き継ぎや音楽の流れが自然につながっていて、一糸の乱れもない。GP(総休止)のところでは、客席まで沈黙せざるを得ない程の緊張感をつくり出す。そんな音楽が目の前で繰り広げられていました。本当に子どもたちを今すぐにでもここに連れてきて、この音楽の世界を感じてもらいたい、そんな想いがあふれてきました。

また、何より感じたのが「生演奏のすごさ」というか、やっぱり「音は振動」なんだな、ということです。これについてはしつこい程書いていますが、音というのは、まず一人ひとりが発音体(唇、リード、弦、太鼓の皮など)を使って振動を創り出すところから始まります。そして、そのつくられた振動が楽器を通して空間に出て行き、互いに混ざり合って増幅し、空間にある見えない空気の分子たちをどんどん振動させていくことで聴衆の耳に届き、心をふるわせます。

まさに、ウィーン・フィルの演奏は、ホール中の空気を振動させ、ホール中の観客の心を奮わせる演奏だったと思います。

これを「さすが超一流オケ」で終わらせてしまうのではなく、おこがましいようですが、私たちも一人ひとりが楽器という道具を使って、自分の想いを思い切り「歌える」ようになるためにも、いい音楽、心を動かされる演奏に刺激を受けながら、技術や感性を磨いていきたいな、と思うのでありました。

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