合奏は1人じゃできない! ~仲間とどう付き合っていくか~

当然のことながら、吹奏楽やオーケストラの合奏は1人ではできません。
最近、8人で楽器を持ち替えながら素敵な演奏をした学校の話が話題になっていましたが、それでも、1人だけになってしまったら、「合奏」ではなく、「独奏」になってしまいます。
どんなに人数が少なかったとしても、合奏をするには仲間が必要です。
同時に、その仲間とどのように接するかで悩むことは、多かれ少なかれあることだと思います。これは、学校の部活だけでなく、一般の楽団でも言えることです。
前にもブログに書いたことがありますが、私自身も、中高の頃は自分が熱中するあまり、自分よりやる気がないように見える仲間に対して「自分で選んで入った部活なのに、何でやらないの?!」という思いを持ったことがあります。
確かに、やる気がないように見えたり、真剣にやらなければいけない場面でふざけているように見えたり、様々な理由で練習を休みがちだったりする仲間もいるかもしれません。真面目にやっている人にとってみれば、許せないと思うこともたくさんあると思います。
合奏は1人ではできない
と同時に、
1人でも欠けてしまったら、ピアノの鍵盤が足りないのと一緒で、本番の音にならない
という事実もあります。
だからこそ、本当はみんなが一定のモチベーションをもって、全員がそろった状態で集中して合奏に臨むことが大切なわけですが、ここで問題になってくるのが「一定のモチベーションとはどの程度か」ということと、「集中できる環境がつくられているか」ということなどです。
これも以前書いたかもしれませんが、モチベーションというのは人によって微妙に違うものだし、同じ人でも体調や気分によって変化するものです。「楽しむ」と一言で言っても、本当に血のにじむような努力をして、ぴったり息の合った演奏をして、コンクールで金賞をとることが楽しみになる人もいれば、自分たちの持っている力を精いっぱい出して音楽をつくれることが楽しい人もいるし、ただみんなで一緒の舞台に乗れるだけでも楽しく感じる人もいるでしょう。そのあたりは、ある程度話し合ったりする必要も出てくるかもしれません。
でも、特に部活の場合、自分と価値観が違うからといって仲間を排除する権利は誰にもないし、「みんな分かってくれない」と言って自ら部活を去ってしまうのももったいない話です。
せっかく音楽をやろうと思っている仲間が周りにいる。
これって、とても幸せなことだと思うのです。
マザー・テレサの有名な言葉に、
「愛情の反対は憎しみではなく“無関心”」
というものがあります。部員(団員)同士の仲が常に良くなくてもよいとは思います。むしろ、とことんぶつかり合って、お互いの気持ちを受け止め合うくらいの気概が大切だなと思います。
でも、せめて仲間のことに関心は寄せていたいと思うのです。「あいつには言っても無駄だ」というように、仲間のことに無関心になってしまったら、向上するためのチャンスを無くしてしまうことになりかねません。
人と理解しあうにはパワーもエネルギーも必要です。そこまでして…と思うこともあるかもしれません。どうしても譲れない想いもあると思います。でも、せっかく仲間がいるのであったら、そのことに感謝して、最後まであきらめずに一緒に想いを出し合いながら音楽をつくっていきたいと私は思います。
もしあまりやる気がないように見える仲間がいたらどうするか。まずはなぜやる気がないように見えるのかを考え、やる気を起こせるような環境がつくれているかどうかを客観的に考えてみることも必要かもしれません。「なんでやる気のない奴に合わせなきゃいけないんだ」と思う方もいらっしゃるかもしれませんが、もしかたら、そこに更なる飛躍のためのヒントが隠されているかもとも思うのです。
もちろん、独裁的な部活だったりして、なかなか自分の想いを出して、環境を整えていく行動がとりにくいこともあるかもしれませんが、もし自分に少しでもできることがあれば、それを考えて今すぐにでも動き始めるのが得策だと思います。
「どうにかしたい」
「こういう風になりたい」

この想いがある限り、人は向上することができると思います。その思いを大切にしながら、一人ひとりの仲間を大切に、音楽と丁寧に向き合っていけたらなと思います。
またとりとめのない文章になってしまいましたが、今日はこのあたりで。

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