後輩たちの演奏から教えられたこと ~音楽は心から始まる~

「音楽は心」
この言葉は、様々なところで使われ、言われてきているものだと思いますが、先日ラッパの後輩たちが出演する金管サンサンブルを聴きに行ったとき、やっぱり「音楽は心」から始まるのだということを、改めて教えてもらったなと感じたこともあり、今日はこのテーマでつぶやいていこうと思います。
その演奏会は自分だったら無理―!!と叫びたくなるくらいの難曲ぞろいで、細かいところを荒さがししていけば、音を外していたり、出なかったり、タテがあっていなかったり、ハーモニーが合っていなかったり…とアンサンブルコンテストの講評に書かれそうなこともたくさんあって、彼らの求める音楽のハードルの高さを知っている身としては、きっと不完全燃焼だったところもあるんだろうなと思うところもありました。
では、なぜ、終わった時に私の心は熱くなったのか。
それは、私が音楽をやる上で一番大切な「自分はこう吹きたい」っていう想いが伝わってくる演奏を彼らがしてくれたからです。その想いが音に表れていたからです。欲張らずに、ただ目の前の音楽を楽しむ。体全体でノッて、自由に自分たちの音楽を奏でようとしている姿に、観客として、心が動かされたのだと思います。
これこそが、音楽。
そう思った演奏だったからこそ、「音楽は心」だと改めて思ったわけです。
もう1つ「音楽は心」と思ったのは、前述のように、欲張らずに自然に体がノッている時の音は非常にのびやかで、ホールにきれいに響き渡る音でした。難しいパッセージも、ピッコロトランペットの高音も、それこそアレクサンダーテクニークで言われている「頭を自由に動けるようにしてあげて…」という状態になっている時は、よくここまで吹けるなと思うくらい、素晴らしい演奏をしていました。
逆に「ここは決めようと狙ったな」「バテてきて力んでるな」「練習不足で心配なのかな」と思う部分で音を外していたり、出なくなっていたりしたような気もしました。でも、そこまで奏者の気持ちが伝わってくるようなところもライブの良さだし、だからこそ生で音楽を聴くと胸が熱くなるんだと思うのです。ここからも「音楽は心」から始まるのだなということを痛感させられました。
つまりは、良くも悪くも「音楽は心」が表れるもの。
その時の、奏者の気持ちがどうであるか次第で、いかにようにでも創りだすことができる芸術なのだと。先日のブログに書いたオケの練習時の指揮者の先生の言葉のように、「自分の頭の中でどんな音楽が鳴っているか」ということがどれだけ大切なのかを改めて教えてもらった気がします。
もちろん、技術も大切。何曲も吹けるだけのスタミナも必要。でも、伝えようと思う音楽がなかったら始まらないし、体の中にある音楽が自然に表現できる状態をつくることさえできれば、自分が伝えたい音楽を聴き手に届けられるのではないか、そう思うのです。
そして、不完全燃焼な部分があるからこそ、次にまた練習しようと思える。伝えきれなかった想いを伝えるために練習をする。少しずつ、自分の想いを伝えることができるようになって、少しずつの達成感を積み上げていく。それが我々アマチュア音楽家の人生なのではないか、そんな風にも思います。
「音楽は心」
本当にいい言葉だなぁと私は思います。この言葉に詰まっている意味はまだまだたくさんありそうです。それは、きっと心の数だけ、人の数だけあるからなのだと思います。そんな無限に広がっていく音楽の世界をこれからも堪能していきたいな、そのために頑張っていきたいなと思います。
この日のために半年間練習を積んできた後輩たちに、ここで改めて大きな拍手と、心からのお礼を伝えたいと思います。本当にありがとうございました。またの機会を楽しみにしています。

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