音色と表現について2

同じ楽器であっても、違う人が吹くと、音色にはそれぞれの個性が出る。
同じ人が吹いても、曲やその時の気持ちによって、表現にも違いが出る。
だからこそ、音楽表現は完成されるものではないし、ずっと追求し続けられるものなのだと思う。
では、その音色や表現をどのように豊かにしていけばいいのだろうか。
いろいろな方法があると思うけれど、まずは「聴くこと」なのかなと思っている。
自分にとって「力強い音」「かっこいい音」「柔らかい音「あたたかい音」「哀愁のある音」など、いろんな音のイメージがなければ、その音を作り出すことはできない。だから、その音色の引き出しを増やすために、とにかくいろんなプレイヤーの演奏を聴いて、自分の中にある音色や表現の可能性を広げていくことからしか始まらないのだと思う。
次にすべきことは、「まねること」だと思う。
自分の中で「この音だ」とイメージできる音色や表現が見つかったら、とにかくモノマネをしてみる。どれだけ似せられるか、自分の音を録音して聴き比べてみるくらいの勢いで、とにかく「この音だ」と思う音に近づけるためにはどんなイメージを持ち、どのように吹けばよいかを試行錯誤しながら追求していく。Twitterでつぶやかれていた方がいらしたが、「上手い人はモノマネが上手い」というのは同感で、それだけ観察して、聴いて、吸収して、自分の理想を追求するために前向きに努力できる力を持った人が上手くなっていくのだと思う。
高校時代、仲の良かったオーボエの友人が、しばらくドクターストップがかかって楽器が吹けなくなってしまったことがある。その時彼女は、ひたすら吹きたい気持ちを抑えながら、宮本文昭さんのCDを聴きまくってイメージを広げていたそうだ。すると、数か月後、久しぶりに聴いた彼女の音は、ブランクを感じさせない、むしろ以前より素敵な音色になっていた。周りの友人には「隠れて練習してたんじゃないの?」と冷やかされていたが、本当にイメージだけでここまで変わるものなのだと、自分自身とても驚いた記憶がある。
さらに大切なのは「経験すること」なのかなと思う。
音楽を表現する上では、さまざまな情景を思い浮かべ、その時自分ならどのような感情になるのか、そしてそれを表現するにはどのようにすればよいのかという引き出しをたくさん持っていたほうがよい。だからこそ、年を重ねていくうちに同じ人間であっても、表現が変わっていくことはたくさんある。例えば、若いころはアップテンポで情熱的だった指揮者が、年を重ねていくうちにじっくり奥深い音色を要求するようになることもある。だからこそ、音楽をやる人間は、より身近なことに敏感にアンテナをはりめぐらせ、自分の心で感じることを大切にすべきなのだと思う。そうやって感性を磨いて、時には辛かったり、悲しかったりする経験も通しながら、その人の音楽はより魅力的なものに変わっていくような気がする。
そして最後は「自分の表現をみつけていくこと」
これがもちろん一番難しい。一定のジャンルで、ソロを吹いているだけならまだしも、多くの人は楽団に所属したり、吹奏楽でもオケでもいろんなジャンルに挑戦したりすることになる。自分でいいと思っている表現が、指揮者や楽団仲間には通じないこともある。でもその時に、その時の自分のイメージに凝り固まるのではなくて、そこでも引き出しを増やそうと前向きに思いながら、その中で自分の思いを音楽にぶつけていくことができればよいのだと自分は考えている。100%納得して満足する演奏はないと思う。でも、その時にできる自分の精一杯の演奏はできるはずだ。
だからこそ、共に演奏する仲間から学ぶことも多いし、楽団員や指揮者がディスカッションする中で、曲のその場面をどのような音色で、どのような表現で演奏するかも互いに考えられる集団でいたい。きっとそういう集団をつくることができれば、その楽団にしかできない「カラー」ができるのだと思うし、演奏者も、お客様も楽しめる音楽をつくっていくことができるのだと思う。
今日はエキストラの本番。
ここのオケは、互いに意見を出し合って音楽をつくろうとする熱さがあって好きだ。
エキストラではあるけれど、一緒につくってきたものをもとにして、最後まで自分たちの音を追求していける本番にしていきたい。そんな風に思った。

iQiPlus

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。