自分本来の力を十分に発揮するためにやりたいこと

今、私がアレクサンダーテクニークを学んでいるSelf Quest Laboでは、定期的に「アレクサンダーテクニークの基本」を考える機会があります。常に根本に立ち返る、初心を思い出す機会があることで、なぜ自分がアレクサンダーテクニークを学んでいるのか、アレクサンダーテクニーク教師の資格取得を目指しているのかを問い直すよい時間になっています。今回の記事も、現時点で自分が考えているアレクサンダーテクニークの基本とは何なのかをつぶやいてみたいと思います。

 

アレクサンダーテクニークの基本とは何か?

アレクサンダーテクニークを提唱したF.M.アレクサンダーは、著書『自分の使い方(Use of Self)』の中で、「頭と背骨全体の機能を邪魔していなければ、その人全体がうまくはたらく」という原理を『プライマリーコントロール』と名付け、世に紹介しました。それが、アレクサンダーテクニークの基本だと言われています。

ではなぜ、「頭と背骨全体の機能を邪魔していなければ、その人全体がうまくはたらく」のでしょうか?

それは、人体の構造と深く関わりがあります。

脊椎動物である人間もこれは同じです。「軸骨格」とよばれる頭蓋骨、肋骨、胸骨、脊柱(頚椎、胸椎、腰椎、仙骨、尾骨)あわせて80個の骨が人間にとって、体の支えとなり、動きの軸となっています(下図の青い部分)。

上の図を見てもわかるように、腕や足の骨格というのは軸骨格につながっており、「付属肢骨格」とも呼ばれています。ですから、まずは軸骨格が自由に動ける状態をつくっておかないと、腕や足の動きにも影響が及んでしまいます。

プライマリーコントロールは、言い換えると軸骨格が自由に使える状態にあることだとも考えることができるでしょう。そして、よくアレクサンダーテクニーク教師がレッスンの時に使う「頭が動けて、からだ全体がついていく」という言葉は、そのことによって軸骨格が自由に使えるようになり、からだ本来の機能を十分に使える状態にすることで、やりたいことをよりやりやすくするための気づきを促すものだと考えても良いのではないかと思います。

 

「氏より育ち」だからこそ考えたい “からだ本来の機能”

では、「からだ本来の機能を十分に使える状態」とはどのような状態なのでしょう?

私たち人間は、様々な自然環境、生活環境に対応できるように進化と成長を重ねてきました。ですから、私たちの身体は、今生きていくために有利な構造と機能を元々は持ち合わせているはずです。

しかし、わざわざアレクサンダーテクニークを学んで気づくこと、思い出すこと、取り返すことができることがあるのは、なぜなのでしょうか?

私たちは生まれてから生きていく過程で、様々なことを身につけ、成長しながら、時に本来自分にとって有利にはたらくはずの機能を使わずにいることがあります。それは、目の前にある環境に適応するためだったり、危険を回避するためだったり、手っ取り早くできるようにするためだったり、理由は様々です。自分自身の意思で選び取ってやっていることもあれば、気づかずにいることもあります。

もう20年近く前の話ですが、私は大学で神経化学の研究をしていました。その時の指導教授が「今はDNAとかゲノムとか流行っているけれど、生物は『氏より育ち』なのよ!」とおっしゃっていたことがとても印象に残っています。DNAは生まれながらに決まっているけれど、その持ち合わせた能力を、どのように育てていくのか、使っていくのかは、生まれてからどう生きていくかに大きく関わっているということです。

実際、私たちの脳神経系をつくっている神経細胞(ニューロン)は、シナプスという情報伝達部位を介して神経回路を形成していますが、使われなくなった回路は淘汰されていきますし、いったん失われた機能も、トレーニングによって別の回路が形成されることで回復することもあります。DNAの遺伝情報は絶対的なものかもしれませんが、「どのように生きたか」ということは、確実に自分の中に刻まれていくものなのだと思います。

そうやって、生きていく中でいろいろ身につけてきたものを活かしつつも、忘れられていたり、十分に機能していなかったりする「本来持ち合わせている身体の機能」に気付いたり、それを活かしていく方法の一つがアレクサンダーテクニークなのだと思います。

 

「自分本来が持っている機能」を活かすには?

とはいえ、からだ本来の機能や構造を知っているだけでは、それらを十分に活かすことはできません。

アレクサンダーテクニークを学んでいくとき、真っ先に思い付くのはこれまで述べてきた「頭と脊椎の関係」ですが、同じくらいに大切なことに「心身同一性」、つまり「心と体は互いに関係し合っている」ということがあげられます。

分かりやすい例でいくと、生物は危険を察知すると身体を硬直させて身を守ろうとしますし、安心安全が保障されている場では、動きも大胆に自由になることができたりすると思います。

また、いくら人体が優れた機能を持ち合わせていたとしても、それを「どう使いたいのか」ということがなければ、活かすことはできません。目的がないままでは、宝の持ち腐れになってしまうことも多々あるのだと思います。

先日受けた、バジル・クリッツァー先生の授業の中で、「中学生にもわかるアレクサンダーテクニーク」と題して、次のような板書が紹介されました(バジル先生には掲載承諾済み)。

この図を見ても分かるように、まず自分が何をしたいか、どうしたいのかという望みがあって、そのために何をすればよいのかを考えたり、実験をして考察したりして、次のステップに進んでいくという流れが、根幹としてあります。その実験・観察の際に、原因となっていたり、影響を与えている要素は様々あり、いろんな視点から分析していく必要もあるわけですが、その時に手助けとなるのが「アタマとセキツイの動き(=プライマリーコントロール)」を考えることなのだと思います。

言い換えると、自分自身がやりたいことを実現するために、実際にやってみて、どうだったかを振り返ってみるときに、アレクサンダーテクニークの視点を入れてみることで、見え方が広がり、やりたいことを実現する手助けとなるものが増えていくということなのではないでしょうか。

どんなにアレクサンダーテクニークが有効的になものであったとしても、自分自身の中に「どんな風になりたいか」「どういう風にしたいか」という思いが無かったら、使うことはできないですし、どのような場面で使うことができるのかは、実際に自分でやってみないことにはつかめないことも多いような気がします。

アレクサンダーテクニークを知ったからと言って、何でも簡単にできるようになるわけではありません。ましてや、アレクサンダーテクニークのレッスンを受けて、その場だけアタマとセキツイの動きに興味を持ったとしても、それは気づきを促されたにすぎず、結局は自分自身でできるようになる必要があります。自分自身が本来持っているものに気づき、使えるようにし、活かしていくことができるのは、自分自身以外の何者でもありません。

でも、動きの観察をするときの視点や、次のプランを立てる時のアイディアが広がるのは確かだし、シンプルな原理なだけに、様々なことに応用できることも、アレクサンダーテクニークを学ぶ魅力であるように思います。

こうした実験と観察を繰り返してく中で、アレクサンダーテクニーク”も”使いながら、自分自身も含め、その人本来が持っている能力を引き出していくのが、私の今の目標です。

 

アレクサンダーテクニークを使うかは選ぶことができる

アレクサンダーテクニークを使うことでできるようになることもたくさんありますが、同時に、「今はアレクサンダーテクニークを使わない」という選択の自由も自分自身には残されています。本当に身の危険、心の危険を感じた時には、「からだを固めてもいい」「心を固めてもいい」という選択肢をとってもいいはずです。命の危険にさらされている時に、何も考えずにぷらぷらしていたら、みすみす命を失いかねません。

このように、常に自分がしたいこと、なりたい自分というものが先にあって、それを実現するためにアレクサンダーテクニークを使うことが有用かどうかは、その都度自分自身で選んでいけるものなのだと思います。

私もこれまでアレクサンダーテクニークを学んできた中で、何度となく自分がやりたいことが見えなくなり、その度に何のために学んでいるのかが分からなくなることがありました。でも、やりたいことや挑戦してみたいことがあった時、アレクサンダーテクニークを使うことができるという選択肢があることで、できるようになる可能性は大いに高まったように思います。

これからも学んでいく中で、単に「アレクサンダーテクニークを学ぶ」だけではなく、「自分(誰か)がやりたいことのためにアレクサンダーテクニークを活かすことを実験してみる」というスタンスで、実験と研究を面白がりながら、探究を続けていけたらと思います。そして、人間にはプライマリーコントロールという機能が備わっているということを常に意識しつつ、自分のやりたいことのために使った方が有用であるというときには、積極的に選択して使っていきたいものです。

 

——-過去のブログから———

「アレクサンダー・テクニーク」とは何者か?

アレクサンダー・テクニークを学ぶとは?

「頭が動けて、からだ全体がついてきて…」の謎に迫る!

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