「アレクサンダー・テクニーク」とは何者か?

つい1年前には想像もできなかった未曽有の状況に置かれて半年が過ぎました。まさかこんなことになるとは…。今でも何だか夢の中にいるのではないかと思うこともあります。

3月の一斉休校に始まり、部活の定期演奏会やコンクール、自分自身が所属する団体の本番も次々となくなり、4月に始まったオンライン学習、分散登校、夏休みの短縮と、目の前にある仕事への使命感、責任感だけで全力で突っ走った半年間でした。

火事場のクソ力とはよく言ったもので、「どうにかしてこの状況でもできることをやらなければ」と思っていると、普段だったらできないであろう勢いでやれてしまうこともたくさんあります。しかしその結果、知らず知らずのうちに自分自身を追い込んで、燃え尽き症候群になりそうだと感じたことも何度かありました。

そのような状況の中、Self Quest Laboのオンライン授業が4月の終わりから毎週あったことは、自分自身の在り方を考えたり、音楽に向き合う心に触れたり、共に学ぶ仲間たちの姿を観たりすることができ、ふと自分にとって大切なことは何かを落ち着いて考えることができる大切な時間でした。この時間がなかったら、恐らくどこかで発狂していたことでしょう・・・。

ようやく学校が夏休みに入り、少し落ち着いてこの間学んだことや感じたことを言語化できそうな気もしてきたので、書きかけていたブログを、ちょっとずつ書き上げていきたいと思います。

 

ということでまず、初心に立ち返って、「アレクサンダー・テクニークって何なのだろうか?」ということについて書いてみたいと思います。

 

アレクサンダー・テクニーク=怪しげなもの?

日本では「アレクサンダー・テクニーク」という言葉は、2000年代後半から徐々に浸透し始めてきたように思いますが、「頭が動けて、体がついてきて…」という呪文なような言葉と、それまで良しとされてきたことに反するように受け止められることもあったりして、“何だか怪しげなもの”として認識されることも、未だ少なくないようにも思います。

私もアレクサンダー・テクニークを勉強し始め、ブログなどでも発信するようになりましたが、何度となく「また何とかテクニックの奴か」「そんなのやってコンクールで結果が出せるのか」「楽器のプロでもないのに」といった声をいただくことがありました。

確かに「〇〇テクニック」というと、何だか小手先でまやかしのような”教え”を生徒に刷り込む怪しげなものを想像することも多いと思います。アレクサンダー・テクニークのレッスンで先生が生徒に手を触れると、何だかよくわからいけれど上手くいったりする様子を垣間見ると、魔法をかけられているように見えなくもないですし、レッスン自体も「先生が指摘して教える」というスタイルではないので、違和感を覚える人がいるのも分かります。

では、なぜのこの”何だか怪しげなもの”が、これだけ注目されるようになってきたのでしょうか。

 

アレクサンダー・テクニークの歴史

実はアレクサンダー・テクニークの歴史は古く、約120年前にまでさかのぼります。

アレクサンダー・テクニークの提唱者であるF.M. アレクサンダー (Frederick Matthias Alexander, 1869-1955) は、オーストラリア出身の俳優です。アレクサンダーは将来有望な俳優といわれていましたが、舞台上で声がかすれて出なくなるという症状に見舞われ、医者からも治療は難しいと言われてしまいました。

普通ならそこで諦めてしまいそうなものですが、そこでアレクサンダーは、自分で声が出なくなる原因を自分自身で解明することにしました。

まずアレクサンダーが行ったことは、「観察」です。

自分が台詞をしゃべろうと思った瞬間、自分自身にどのようなことが起きているのかを、鏡の前でとことん観察しまくったアレクサンダーは、しゃべろうとしたときに首の後ろを縮めて緊張させていたことに気づきました。これが原因で、頭が重くのしかかり、声帯が圧迫され、声が出づらくなってていたということが分かったのです。

次にアレクサンダーは、その習慣を「抑制」するということに取り組みました。

この時アレクサンダーは、「首を緊張させないように」と指示を出すのではなく、「首が楽になっていて、頭が前と上へ行き、軽く脊椎の上でバランスをとっているように」と具体的に指示を出すようにすることで、声が楽に出るということに気づきました。

この経験をもとに、「頭と背骨全体の機能を邪魔していなければ、その人全体がうまくはたらく」と考えたアレクサンダーは、この原理を『プライマリーコントロール』と呼ぶことにしました(また”〇〇コントロール”という言葉が出てくると、洗脳っぽく感じる方もいらっしゃるかもしれませんが…)。そして、この発見を他の俳優たちにも教えはじめ、1930年には教師養成コースをはじめました。

今では世界に4000人以上のアレクサンダー・テクニーク教師がいると言われています。1人の発見が、このように長い間、世界中でたくさんの人に伝わっていくのには、それなりの理由があるのだと思います。

正直なところ、私も最初は「ちょっと怪しげな宗教だったらどうしよう・・」と、学校の門を叩くのを戸惑いました。でも、いろんな本を読み、その歴史や、考え方に触れる中で、ただ何かの方法を信じて取り組めばいいというものではなく、科学的に理解できる理論に基づくものだということが分かったので、1から勉強してみようと思いました。そんなこんなで、紆余曲折もありましたが、今もこうして学んでいるというわけです。

 

改めて、アレクサンダー・テクニークとは何か?

これまでの授業でいろいろなケースを体験していく中で、一見すると全然違うところに原因がありそうなことであっても、結果的にアレクサンダーが発見した「プライマリーコントロール」と呼ばれる原則に立ち返ることがほとんどでした。

例えば、

  • 長時間デスクワークをしていると肩や腰が痛む
  • 職場に行くと無意識のうちに体を縮めてしまう
  • 楽器を吹くときに、息がのびやかに使えない
  • 速いパッセージを思うように吹くことができない

というように、結果として見えてくることは異なっていたとしても、自分自身をよく観察してみると、結果がそうなる要因が必ずあります。それは思考や心理的なものからきていることが大きいことも、体の使い方そのものからきていることもありますが、共通しているのは、自分自身に意識が向いていなかったり、過度な緊張感がはたらいていたりして、意図せずとも身体を硬直させていることが多いということです。

本来、動物が体を硬直させるのは「危険から身を守るため」ですから、疲れや緊張など、それが過度に続いていくと生命の危機につながるようなことが目の前にあったとき、身体が硬直するというのは、命を守るための正常な動きです。

しかし、必要以上に硬直してしまうと、やりたいことをやるために必要な機能がはたらきづらくなってしまうこともあります。

そこで役立つのがアレクサンダーが発見した「首が楽になっていて、頭が前と上へ行き、軽く脊椎の上でバランスをとっているように」という指示を自分自身にしてみることです。

では、なぜその指示を出すことで、直接関係がないと思われる部分に表れていることの改善につながるのでしょうか。

 

それは、体の構造に起因しています。

先程も書いたように、アレクサンダーは、首の後ろを縮めて緊張させていたことが原因で、頭の重みによって声帯が圧迫され、声が出づらくなっていたことに気づきました。では、そもそも「首」とは何者なのでしょうか。

首は、下の図のように、骨で考えてみると「頸椎」と呼ばれる7つの骨が積み上がってできています。

 

そして頸椎は、上図にもあるように、胸椎、腰椎、仙骨、鼻骨などとひとつながりになっています。これらのいわゆる背骨(脊柱)に、頭蓋骨、肋骨、胸骨を合わせたものを軸骨格」と呼んでおり、この80個の骨が人間にとって、体の支えとなり、動きの軸となっています(下図の青い部分)。

上の図を見てもわかるように、腕や足の骨格というのは軸骨格につながっており、「付属肢骨格」とも呼ばれています。ですから、まずは軸骨格が自由に動ける状態をつくっておかないと、腕や足の動きにも影響が及んでしまうのです。

プライマリーコントロールは、言い換えると軸骨格が自由に使える状態にあることだとも考えることができるでしょう。そして、「頭が動けて、からだ全体がついていく」ことで軸骨格が自由に使えるようになり、からだ本来の機能を十分に使える状態にすることで、やりたいことをよりやりやすくするのがアレクサンダー・テクニークであるとも言えるのではないかと思います。

 

 

自分にとってのアレクサンダー・テクニークとは?

と、現段階でのアレクサンダー・テクニークやプライマリーコントロールというものについて、自分がどのように考えているのかということを書いてきましたが、最後に、今の自分にとってのアレクサンダー・テクニークはどんなものなのだろうか、ということを書いておきたいと思います。

先述の通り、アレクサンダー・テクニークの原理原則は「プライマリーコントロール」にあります。徹底してそこに注目していくことは大事なことだと考えています。

一方で、アレクサンダー・テクニークを使えるようにすることが最終目的であるわけではありません。アレクサンダー・テクニークを用いて、自分がやりたいことをやりやすくしたり、そのお手伝いができるようになることが目的なのではないかなとも思います。

もちろん、すべてがアレクサンダー・テクニークの手法で上手くいくようになるとは限りませんが、ただがむしゃらに調子の悪い”部分”だけに注目して応急手当てをしていくよりも、その”部分”=”枝葉”とつながっている”軸”=”根幹”がどうなっているのかに立ち返り、根本から心身の使い方を考えてみると、その場限りではない、長期にわたって利用することのできるものに気づけることも多いです。

このように考えていくと、今の自分にとってのアレクサンダー・テクニークとは、アレクサンダー自身が行ったように「自分自身の心身に起こっていることは何かを観察し、やりたいことを実現するためにできることを見つけていく実験(研究))」なのかなとも思います。

何が起こるかわからない世の中、自分自身も毎日ちょっとずつ違う環境に適応しようと違うことをし始めていることもあるでしょうし、そもそも心身の状態が全く一緒であることなど、ほとんどないはずです。変化に富んだ毎日だからこそ、自分自身をよく観察してみると、何かが起こっている。それが快適だったらそのままでもいいわけですが、何かやりたいことを妨げることにつながっていたとしたら。うまくいかないことがあったり、調子が何だかすぐれないと思ったとき、自分自身を観察して、何かできることはないか、アレクサンダーの発見を活かして実験をしていくことができたら、深い沼から抜け出すヒントを見つけることができるような気もするのです。

そんな観察と実験を楽しみながら、自分自身と向き合って、より実現したい生き方につなげていくための一つの手段が、今の私にとってのアレクサンダー・テクニークであるのかもしれません。

これからも自分に起こることを楽しみながら、学びを続けていけたらなと思います。

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「アレクサンダー・テクニーク」とは何者か?” への1件のコメント

  1. ピンバック: 自分本来の力を十分に発揮するためにやりたいこと | とあるラッパ吹きのつぶやき

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