「部活休養日」で、現場はどう変わるのか? (上)

行き過ぎた部活動が教員の長時間労働につながっているなどとして、文部科学省が「部活動に週1日以上の休養日を求める」ということが話題になっています。
・部活動教員に週1日以上の休養日導入へ 文科省
   http://news.yahoo.co.jp/pickup/6204171
・中学高校の部活動に休養日設定を 文科省が提案へ
   http://www.asahi.com/articles/ASJ635FTGJ63UTIL04R.html
・「土日は部活の休養日に」 自民議連が中間まとめ
   http://www.asahi.com/articles/ASJ5W440QJ5WUTIL01H.html
・<部活動>「休養日の設置を」教員の負担軽減策
   http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20160613-00000079-mai-life
このように、「部活の休養日」だけがニュース記事を騒がせていますが、文科省が出した報告は次のようなものです。
・学校現場における業務の適正化に向けて
  http://www.mext.go.jp/a_menu/shotou/uneishien/detail/1372315.htm

画像(図は文科省作成「概要」より)

これまでも一連の「部活問題」についてはいろいろ書いてきましたが、今回の報告を受けて自分か感じたことや考えたことを改めて整理しておきたいと思います。
実は1997年、運動部については
 ・中学校は週に2日以上の休養日を
 ・高校は週に1日以上の休養日を
 ・長期休業中はまとまった休養日を
 ・平日は2~3時間まで、土日は3~4時間まで

というガイドラインが設けられたことがあります。しかし、法的拘束力もありませんし、実際には守らない学校も多かったようです。練習日数(時間)と大会結果の相関関係は必ずしも比例するとは限りませんが、「勝つためには練習」という元々風潮もあり、また完全学校週5日制により土日に授業が入らなくなったこともあって、逆に部活動が過熱していった面もあったかと思います。
今回取り上げられている「部活問題」には複数の要因が絡んでいます。発端が「教員の長時間労働」というところにあるのも注目すべき点であるかと思います。文科省も、いろいろな人の思惑のバランスをとって「週1日以上の休養日を求める」という結論に至ったのだと思いますが、一つ一つの要因について丁寧に取り組んでいかなくては、結局1997年のガイドラインと同じ道をたどってしまうような気もします。
私は、基本的には「教員の長時間労働」と「部活問題」はいったん分けて考える必要があると思いますし、教員の待遇改善は、教員本人のためはもちろんのこと、よりよい教育活動のため、最終的には子どもたちのためである必要があると考えています。そのようなスタンスを持ちながら、具体的に今回の報告の中身を見ていきたいと思います。
1.日本におけるこれまでの学校と教員の姿
○ 諸外国では,教員の業務が主に授業に特化しているのに対し,日本では,教員が,教科指導,生徒指導,部活動指導等を一体的に行うことが特徴となっている。こうした「日本型学校教育」は,国際的にも高く評価されており,学校が子供たちの人格的成長に大きな役割を果たしている。一方,学習指導・生徒指導等に加え,複雑化・多様化する課題が教員に集中し,授業等の教育指導に専念しづらい状況となっている。学校の業務の状況は,学校種や学校規模等によっても異なるが,おおむね以下のような課題を抱えている。
 ・小学校は,学級担任制で担任授業時数6が多い。昼休みも給食指導を行い,休憩時間も児童と一緒に活動し,児童への安全への配慮等を行っていることが多いことから,児童在校中は校務や授業準備を行う時間の確保が難しい状況にある。また,小学校は,女性教員の割合が他の校種に比べて高い。
 ・中学校や高等学校は,教科担任制であり,教科により担任授業時数は異なるが,生徒指導や進路指導に関わる業務の負担が大きくなる。それら指導の打合せ等の時間に加え,補習授業や部活動に関わる時間が長いことから,授業準備等の時間の確保が難しい状況にある。
 ・このほか,教員は,授業以外の事務業務の時間が長く,また,PTAや地域との連携,通学路の安全確保や夜回り指導など,様々な業務も担っている。規模の小さい学校では,一人の教員が多くの分掌業務を兼ねて担わざるを得ない状況が見られる。
○ 学校や教員の熱心な取組や大きな負担の上で,子供に関する諸課題に対応してきたが,学校の抱える課題が膨れあがる中,従来の固定化された献身的教員像を前提とした学校の組織体制では,質の高い学校教育を持続発展させることは困難となっている。

このように、従来の「日本型学校教育」がもたらしてきた役割についても述べられた上で、現在の学校・教員が抱えている様々な問題についても触れ、従来の教員の在り方が困難になってきているというのが、この報告の前提としてあることが分かります。
先輩教員と話をしていると、「昔はもっと早く帰れたよ」とおっしゃる方もいれば「昔はもっと生徒指導が大変だった」とおっしゃる方もいます。しかし、共通しているのは「最近は何だかわからないけれど仕事に追われている」ということです。私も教員になってまだ十数年ですが、年齢による仕事量の増加は差し引いたとしても、周りを見回してみても仕事量は増えている気がしますし、どの先生もだいたいいつも忙しそうにされているように感じます。決して悪いことだとは思いませんが、生徒対応も、以前より個別に対応する時間がとても多くなりました。今回は部活が授業準備に影響を与えているという話ですが、自分の勤務校では平日は部活になんて顔を出せないくらい、補習に面談に会議に分掌に仕事を抱えている先生がたくさんいます。
「それが分かっていて教員になったのだろ」と言われてしまえばそれまでですが、仕事量・内容が教員一人当たりのキャパシティーを超えてしまっている、そのような状況は確かにあるようにも思います。
そのような状況を、どのように改善していきたいのか、文科省の報告の中では次のように述べています。
2.目指すべき次世代の学校と教員の姿
○ これからの学校には,その教育活動の中核となる教育課程について,社会の変化に目を向け,教育が普遍的に目指す根幹を堅持しつつ,社会の変化を柔軟に受け止めていく「社会に開かれた教育課程」へと転換させ,子供たちが主体的に社会に向き合って関わり合い,その過程を通して,一人一人が自らの可能性を最大限に発揮し,より良い社会と幸福な人生を自ら創り出していける資質・能力を育成することが求められる。
○ そのためには,教員が総合的な指導を担う日本の学校の特徴を生かしつつ,日本のこれからの時代を支える創造力を育む教育へと転換するとともに,複雑化・困難化する課題に対応できる「次世代の学校」を構築していく必要がある。
○ 教職員体制の整備充実を図るとともに,事務職員や専門スタッフ等が学校運営や教育活動に参画していく「チーム学校」の実現を図ることで,教員が一人一人の子供に向き合い,丁寧に関わりながら,質の高い授業や個に応じた学習指導を実現することにより,子供たちに必要な資質・能力を確実に身に付けさせることができる学校としていく必要がある。
○ また,教育の専門性を生かし,学習指導や生徒指導等を担い,子供たちの状況を総合的に把握した指導に専念するとともに,子供たちの学びの変革に的確に対応し,お互いに学び合い,高め合う教員を目指し,必要な環境を整備していく必要がある。
○ 保護者に尊敬され,地域に信頼される存在として,また,将来教員になりたいと子供たちから思われる存在として,教員が誇りや情熱を失うことなく,意欲・やりがいを高め,その使命と職責を遂行し,健康で充実して働き続けることができるよう,教員が担うべき業務を大胆に見直すとともに,長時間労働という働き方を改善することで,ワー
ク・ライフ・バランスの実現を果たしていく必要がある。

最近は医療現場でも「チーム医療」という言葉をよく耳にするようになりました。専門性を持った人間が、それぞれの専門性を活かしながら、共通認識を持って連携しながら物事に当たることができれば、より高度なサービスを提供することができるというのは確かにあるかもしれません。
私の勤務先は、クラスの生徒が何か問題を起こしたとしても、クラス担任が一人で抱え込んで指導することはありません。学年担任団や関係する分掌の先生、管理職、時にはスクールカウンセラーも一緒になって、その生徒にどのように対応するのかを相談します。ベテランの先生やカウンセラーの専門的な見地から学ぶこともありますし、一人で責任を負うこともないので、とてもありがたいシステムだと思います。
また部活動においても、外部コーチの方に見て頂くことで、自分では見えなかった部分が見えたり、生徒のことを客観的に見られたりすることもありますし、何より自分にはできない専門的な技術指導をしていただけるので、本当に助かります。
教員にも得意、不得意があります。それぞれの仕事を誠意をもってきちんとやられている先生はたくさんいらっしゃいますが、何でも完璧にこなすオールマイティのスーパー先生はなかなかいないものです。それならば、それぞれの教員の持っている良さを出し合いながら、足りないところは外部講師や事務職員、保護者の力も借りながら、子どもたちに関わるすべての大人が、みんなで子どもたちを育てていけるような学校づくりができるとよいようにも思います。
しかし一方で、仕事を細分化してしまうことで起こる問題も想定する必要があると思います。
医学でも教育でも専門性を高めることは大切ですし、そうでなければ困る面もあります。しかし一方で、「これは専門(担当)ではないのでわかりません」となってしまうのも、また困ることもあるように思います。実際に実務を担当するのは細分化したとしても、全体像は一人ひとりがつかんでいることも大切な気がします。
こうして見てみると、文科省が目指そうとしている方向性はとても理解できますし、運用の仕方さえうまくやっていければ、子どもたちにとってよりよい教育活動を提供できる学校にしていくことができると思います。ただ難しいのは、「教員の仕事」は何かと言ったときに、価値観が人によって異なることです。それが顕著に表れているのが部活であり、だからこそこうして話題になりやすいのだと思います。
ようやく、部活の話にたどりつけそうです。。。
しかし、かなり長文になってきたので、今回はここでいったん筆をおき、(中)http://rapparapa.at.webry.info/201606/article_8.html に続きたいと思います。

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