「部活休養日」で、現場はどう変わるのか? (中) 

行き過ぎた部活動が教員の長時間労働につながっているなどとして、文部科学省が「部活動に週1日以上の休養日を求める」ということが話題になっています。
今回の記事は、このニュースの元となっている文科省の「学校現場における業務の適正化に向けて」という報告を読んで書いた“「部活休養日」で、現場はどう変わるのか?(上)”http://rapparapa.at.webry.info/201606/article_7.html の続きです。
(上)では部活についてほとんど触れずに終わってしまいましたが、(中)ではいよいよ本題の部活休養日の設定について考えていきたいと思います。
まず、「2.教員の部活動における負担を大胆に軽減する」という項目に、改革の基本的な考え方として、次の2点が挙げられています。
○ 部活動は,生徒にとってスポーツや文化等に親しむとともに,学習意欲の向上や責任感,連帯感の涵養等に資する重要な活動として教育的側面での意義が高いが,適正・適切な休養を伴わない行き過ぎた活動は,教員,生徒ともに,様々な無理や弊害を生む。
○ 教員の勤務負担の軽減のみならず,生徒の多様な体験を充実させ,健全な成長を促す観点からも,休養日の設定の徹底をはじめ,部活動の大胆な見直しを行い,適正化を推進する。

まず1点目ですが、部活動が「学習意欲の向上や責任感、連帯感の涵養等に資する重要な活動」としながらも、「行き過ぎた活動は、教員、生徒ともに、様々な無理や弊害を生む」ということが述べられています。
私は、部活というものは授業や学級活動では体験できないかけがえのない体験ができるものだと思っています。クラスというものは、様々な趣味嗜好を持つメンバーがランダムに集まってできている集団です。自分とは違う考えを持つ仲間と過ごすことで、視野を広げ、社会に出た時にも様々な人と関わりをつくっていく時にも必要な力を養うことができるようになると思います。一方で部活動は、同じ趣味思考を持つメンバーが年齢の垣根を超えて集まっている集団です。同じような興味を持っている人間がより深く物事を追究するというメリットもありますし、年齢が異なる集団ということで、「後輩の面倒を見る」「先輩から学ぶ」といった上下関係を学ぶこともできます。好きなことや得意なことなだけに、自分に責任を持って取り組んだり、自身を身につけるにも大切な経験になる気がします。部活だけになってはいけないと思いますが、部活というクラスとは別の居場所を生徒たちにつくるということも役割のように思います。
しかし、「行き過ぎた活動は、無理や弊害を生む」というのも分からなくはありません。連帯感が強いことは悪いことではありませんが、連帯感が強すぎるあまり、病気や怪我を押してまで練習や試合に参加して身体を壊したり、仲間外れやいじめにつながったり、過度な勝利至上主義になって本質的なところを見失ってしまったりというように、「行き過ぎた」活動は決して教育的であるとは思いません。
教員にとっても、自分が経験していない競技を担当した上に、さらに勝つことを求めらると大きなプレッシャーとなることは大いに考えられることです。OBや保護者からのプレッシャーは半端ないという話も聞いたことがあります。自分は自分自身がずっとやってきた部活ですし、好きなことをやっているのでそんなに苦にはなりませんが、誰もが顧問をやる可能性があるということを考えたら、過剰になり過ぎないようにすることは大切なことのようにも思います。
でも最も大切なのは、部活を絶対悪とするのではなくて、その意味を理解しながら、どのような形で実施していくのがよいのかを考え直すところにあるような気がします。「良い」「悪い」で考えてしまうと、いろいろな意見を持っている人たちが真っ向から対立するだけになってしまい、平行線をたどってしまいます。それぞれ「自分の言い分が正しい」と思ってのことだとは思いますが、互いの言い分が歩み寄れるように意見を出し合えるといいように思います。
次に2点目ですが、「生徒の多様な体験を充実させ、健全な成長を促す」という文言があります。確かに思春期という吸収力がものすごくある時期に部活“だけ”に打ち込むのでは、視野がなかなか広げられないという考えもあると思います。部活に拘束されるあまり、もっと他にもやってみたいと思うことを我慢せざるをえなかったり、学習や家庭生活にも影響がでるという意見もあると思います。
それらの意見は私も分かりますし、否定する気は全くありません。ただ、部活に熱中することで、それがきっかけとなって教科の学習が楽しく感じるようになったり、もっと知りたい、もっとやってみたいという好奇心が多様な体験につながっていく例もあるのは事実です。
そう思うのは、自分自身が部活があったからこそ自分の道を見つけられたと感じているからなのかもしれません。
私は中学時代、吹奏楽部と「森の会」という自然保護やボランティアを考えるような部活を兼部していました。元々私は主張したい意見はあるものの人前に出るのはあまり得意ではなかったし、人と関係をつくるのは苦手な方でした。それが吹奏楽部でトランペットのトップを任されたことで、「自分が責任を持って引っ張らなきゃ」という責任感を持つようになりましたし、コーチや他校の方と交渉するために人と自分から関わっていくことが少しずつできるようになりました。また、元々理系科目が苦手だったのですが、「森の会」の合宿で山のゴミ拾いをしたのがきっかけで自然環境に興味を持つことになり、化学を専門的に学ぼうと思うようになりました。兼部できるほどゆるい部活だったというのもあるかもしれませんが、自分の人生は部活が無かったら大きく違ったものになっていた気がしています。
人によっても違うと思いますし、地域や学校の置かれた状況によっても部活が与える影響というものは異なってくると思います。「健全な成長」というのが何を指すのかというところも疑問が残るところです。いずれにせよ、「多様な体験」というものはとても大切なことだと思います。残念ながら、その「多様な経験」をどのようにさせるのかということは、「部員以外の多様な人々と触れ合い,様々な体験を重ねていくことも重要である」というところにとどまっており、具体的なことはこの報告には書かれていません。部活にその「多様な経験」を求めることも可能性としてはあるような気もします。そのあたりがもう少し具体化していくことも必要な気がしてなりません。
また、この報告で注目すべきは「一部の文化部」(恐らく吹奏楽部ではないかと思われる)についても触れられているところです。今までの報告やガイドラインが「運動部」に限定されていたことを考えると、吹奏楽部はかなり目をつけられているのではないかと感じました。それがこの一文です。
生徒のバランスの取れた健全な成長の確保の観点からも,部活動の実態を明らかにするとともに,関係団体等とも連携を図りながら,その運営について抜本的な見直しが必要である。この際,一部の文化部活動においても過重な負担の実態が指摘されていることから,運動部活動のみならず,文化部活動の在り方についても見直しの検討が必要である。
ここには、「関係団体等とも連携を図りながら、その運営について抜本的な見直しが必要」と書いてあります。吹奏楽であれば、全日本吹奏楽連盟がそれにあたるのかもしれませんが、吹奏楽の場合、やはりコンクールやコンテストの在り方自体を見直していかないと、練習に対する意識の向け方も変わらないと思います。
個人的にはコンクールやコンテストに出場することで生徒たちのモチベーションは上がりますし、明確な目標を持つことで、具体的にどのように頑張ればいいのかということが見えてきたり、それに向けて根気強く努力する力を身につけることもできると思うので、その制度自体に反対するつもりはありません。むしろ、自分も積極的に参加することで、生徒たちの力を伸ばしていけたらと思っています。
しかし、結果に執着するあまり、歪んだ構造になることも少なくありません。そこが大きな課題なのだと思います。コンクールの在り方というよりは、指導者の在り方なのかなと感じることも多々あります。
このように考えてみると、基本的には文科省の考えている方向性には賛同できるとこともたくさんあります。しかし、大事なのは現場がどのように運用していくかということ。規則を決めたところで、「ただ規則があるから守らされている」という感覚で取り組むのと、生徒のために意味があると思って取り組むのとでは実際の運用の仕方は大きく異なるものです。
決まりやガイドラインを設けることは大切なことです。しかし、人間が行っている教育活動である以上、その運用次第でいかようにも変わると思うのです。全国大会常連校で、無茶苦茶練習しまくっている学校でも、練習以外に交流を深める時間があったり、被災地に赴いて自然の力を目の当たりにしたり、部活に入っているからこそできる経験をたくさんすることで、生徒たちの視野を広げる取り組みを重ねておられる学校がたくさんあります。
そうした取り組みから学べることもたくさんあるはずです。行き過ぎた活動を制限するには、一律の決まりを設ける方が簡単かもしれませんが、もっと成功している例なども参考にしながら、部活を生徒の健全な成長のための一つのツールとして使う方法をもっと模索していってもいいように自分は思います。
本当はこの記事を(下)にして、これでおしまいにしようと思っていたのですが、「現場がどう変わるか?」というところまでたどりつけなかったので、(中)として、結論は改めて書こうと思います。
というわけで、今週の研究日は、文科省の報告を読み込むことに使ってみました。関係者の皆様、遊んでいたわけではありませんのでお許しください。

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