丁寧にフォローすることは、手取り足取りの指導をすることは違うこと

最近、何でもかんでも大人が手取り足取り指導する傾向かより強くなってきているような気がします。以前から中学受験などは親子二人三脚で乗りきるんだ!という風潮は強かったと思いますが、今は大学であっても学習や就職などについて手厚いサポートが求められているように思います。せっかく高い学費を払って通っているわけですから、それだけのサービスを受ける権利が学生にはあります。ただ、手取り足取りになり過ぎるあまり、決められた道以外を進むことがしにくくなっている面もあるように感じています。
確かに一人ひとりを丁寧にフォローすることは大切です。でも、その人が本来持っている力を引き出すためのフォローが大切なのであり、すべて決められたレールに乗せていこうとすることには抵抗感があります。決められた課題をこなし、決められた正答にたどり着くように誘導するだけでは、自分で考えて行動する力はなかなか身につかないと思うからです。
時間の使い方も、問題を解決していく力も、いろいろ経験していく中で身に付いていくものです。答えは一つではありません。正答を答えさせることを目的とするのではなくて、答えにたどり着く過程で得られる思考力や行動力を身につけることが本来教育の目的であるように思います。そうやって身につけていった力は、必ず生きる糧になるはずです。
もちろん物事を追究するには時間がかかります。でも、ただやみくもに時間をかければいいというものでもありません。今、何が必要なことかを考えて取り組むこと。ただ課題をこなすのではなく、その都度課題を更新しながら自分をバージョンアップさせていくこと。その積み重ねが「なりたい自分」に近づく一歩になるのだと思います。
楽器でも勉強でも仕事でも同じことだと思います。ただ時間を費やしたからといってできるようになるわけではありません。むしろ限られた時間の中で集中して、自分なりに試行錯誤しながら身に付けたものの方が、自分の大きな味方になってくれるような気がします。自分を潜らせることは大切なことです。
練習時間を増やしても、勉強時間を増やしても、ただ与えられた課題を黙々とこなすだけでは、いくら時間があっても足りません。どんなに有益とされる課題であっても、どんなに素晴らしい助言を受けたとしても、やっている本人が自らやろうという意思を持っていなければ、それらは宝の持ち腐れになってしまうように思います。
人から影響を受けることはあっても、人がすべてお膳立てをして自分を動かしてくれることはありません。自分がどうしたいのかという意思がなければ、自分自身を動かすことはできません。どんなに素晴らしいプランでも、ただそれに乗っかっているだけでは、ゴールに近づいていけないように思います。
それと同時に、指導する側も覚えておきたいことがあります。それは「相手の頭の中までコントロールすることはできない」ということです。相手のことを思って、よかれと思ってしたことであっても、必ずしも相手がそれを自分が思うように受け取ってくれるとは限りません。全てお膳立てしてあげることが、必ずしも相手のためにならないこともたくさんあるのだと思います。
一人ひとりを丁寧にフォローすることも、全体に向けてより良いと思われる方法を提示していくこともとても大切なことです。でも、目の前の結果だけに執着するのではなくて、10年後、20年後にどんな人として育っていって欲しいのかを考え、そのために必要な力をどうやって身につけるのかを考えることは、もっと大切なことだと思います。
私も心配性なので、つい子どもが転ぶ前に手を出したくなってしまうし、お節介なほど口出しもしてしまう方ですが、もっと長い目で子どもたちの成長を見守れるようになりたいなと思っています。
子どもたちはいつの時代もとても素直だし、吸収力ははかり知れないものがあります。「最近の子どもは自分で考えない」という問題があるとしたら、それは大人がつくりあげた現象なのだと思います。でもだからこそ、決まったことを教え込むのではなくて、自分がやりたいこと、なりたいもののために自分で考えて行動できるように、一人ひとりの力を引き出していきたいものです。
間違っても、失敗しても、そこから何を学ぶかに焦点を当ててみること。「こうやったら上手くいかない」ということを知ることも経験ですし、それを学ぶことができたらラッキーなのだと思います。授業でも部活でも、失敗させないことに重きをおくのではなくて、起きたことをどうプラスにつなげて考えることができるようになるか、という視点で子どもたちと関わっていきたいものです。
そのための時間はじっくりかけていきたいと思います。

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