「生」で思いをぶつけるからこそ、人の心に響く音楽になる

以前プロ奏者の方から、テレビ収録のある本番でプロデューサーに「音外されると商品にならないんで」と言われたことがあるという話を伺ったことがあります。その結果、目の前のマイクに向かって丁寧に吹くだけになってしまい、ライブのお客様には思いきった演奏を聴かせられなかったとこぼしておられました。
確かに、一流の奏者たちがマイク収録に適した演奏をして、それをミキシングすれば商品価値の高い演奏をつくりだすことができるかもしれません。でも、そのプロ奏者の方は「生で自分の持ってる一番熱い思いを、聴きに足を運んで下さった人たちに聴かせたかった」とおっしゃっていました。
つい私たちはミスもなくバランスもとれた録音に慣れて、それを再現するかのように「CD弁」の演奏をしてしまっているところが少なからずあるように思います。でも、一番心を動かす演奏というのは、ミスがあるかどうかよりも、奏者一人ひとりが客席に届けたい音楽を全力でやった結果生まれるような気がします。
アマチュアの演奏でも同じです。音楽が好きで、だから本番のために一生懸命練習して、自分たちにできる最大限の力を出している演奏というのは、プロのように上手くなくても心を動かしてくれることがあります。「音楽が好き」「表現したい」という気持ちはプロもアマもありません。もしかしたら、アマチュアの方が先のような営利が絡まない分、もっと自由に音楽と向き合えるチャンスはたくさんあるのかもしれません。
だからこそ、「やらされている音楽」「受け身の音楽」にならないように、指導者も奏者も気をつけたいところです。それには、いろいろな音楽を「生」で感じる経験も大切ですし、自分がこれから奏でようとする音楽についてアナリーゼしたり、ソルフェージュをすることも必要です。アナリーゼというと難しく感じますが、その曲が作曲された背景を知った上で、曲の全体像をとらえて物語をつくり、それぞれの部分がどんな場面かを想像してみるだけでも大分変わります。物語が難しいという場合も、「ここはどんな色?」と考えてみると、結構意見が出てくるものです。ソルフェージュも、実際に声に出して歌ってみるだけでもだいぶ違うと思います。
そういう一連の作業をしてみることは最初は教える必要があるかもしれませんが、子どもたちにやらせてみると、結構いいアイディアが出てきたり、「ここはこんな風に吹いてみたい」というのが少しずつ見えてくるようになってきたりします。
もちろん「こう奏でたい」と思う音楽を表現するためには技術も必要ですし、それを身につけるためには練習を積む必要もあると思いますし、その過程でつまづいたり、上手くいかなくて悩んだりすることもあると思います。ただ、それでも何かの強制力によって音楽をやらされるのではなく、自分の意志で「こうなりたいから、そのために、やる」というサイクルの中で練習を積み上げていきたいものです。
一人ひとりの「音楽を追究していきたい」という気持ちは楽団全体にとってとても大切なエネルギー源です。そんな思いを持って部活とも向き合っていきたいなと思います。

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