教えるとは、未来を共に語ること。

昨日から日本吹奏楽指導者協会主催の吹奏楽ゼミナールに参加しています。今年で3回目となりますが、毎年いろいろ勉強させていただいております。中には20回以上も参加されている方もいらっしゃったり、様々な年齢層、北海道から九州までいろんな地域からの参加があって、なかなか盛り上がっております。
そこで毎年思うことなのですが、
「音楽専門でもなくて、楽器経験もなくて、いきなり吹奏楽部の顧問を任されたから勉強しに来てます!」という先生や
「今は他の部の顧問だけれど吹奏楽の勉強を続けてます!」という先生
が多数いらっしゃっていて、すごいなと。果たして自分にそれだけのパワーがあるものかと思ったりもします。
自分は運良く就職してすぐに吹奏楽部の顧問になることができ、早十数年が過ぎようとしています。
でもよく周りを見回してみると、未経験の種目の顧問になっている先生の方が多いような気もします。一つの部活だけではなく、いくつもの部活に関わっている先生も多いですし、結果として部活の指導が大きな負担になっている方も少なくないように思います。
ただその中で、多くの先生が専門書を読み、講習会に出掛け、生徒と向き合っていく中で頑張って顧問を務めているということは紛れもない事実です。私の同僚でも、未経験のスポーツに就職して初めて触れて、生徒と共に汗を流すうちに少しずつ実力もついて、経験者の先生にも負けないくらいの指導をしている先生が何人もいらっしゃいます。
大切なのは、学生時代に経験していたかということよりも、生徒のために本気で学ぼうとする気持ちなのかもしれません。
気づいたとき、自分で心からやってみようと思ったとき、がむしゃらに何かを頑張ってみること。それは年齢に関係なく、いつでもできることです。まだまだ勉強して身に付けられることはたくさんあるはずですし、生徒たちと関わっていく中で磨かれていく部分もたくさんあります。
自分もそれなりにはやってきたつもりでしたが、どこか経験にかまけているところもあり、10年近く不勉強のままやってきてしまったような気もします。今思うともったいないことしたなと思うこともあります。
でも残りの教員人生の方が長いわけで、それをどう過ごすかは自分次第なのだと思います。今ちょうどそれを考える時期なのかなと最近思っています。
かつてお世話になった教員の大先輩が、ことあるごとにメッセージとして読まれていた言葉が思い出されます。
教えるとは、未来を共に語ること。
学ぶとは、真実を胸に刻むこと。

(フランスの詩人 ルイ・アラゴンの言葉)
生徒と未来を共に語れるような教師。
誠実に学び続け、成長し続ける教師。
そんな教師像にはまだまだ程遠いですが、恵まれている環境に甘え過ぎず、自分のペースでゆっくり一歩一歩を踏み出していきたいと思います。

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