「才能」はなくても「好き」であり続けることが大切

「才能」の有無や「向いてる」「向いてない」ということで、音楽や楽器を諦めることはないと思います。
とはいえ、周りに器用にこなしてしまう人がいたり、到底敵わないだろうなという人がいたりすると、自分はダメかもしれないという自己否定に陥ってしまうことはありがちです。
でも、「向いてない」からといって「やっちゃいけない」なんてことは全くなくて、ただ「好き」で「やりたい」って思いさえあれば、長く付き合っていくうちに自分なりの成長に気づくはずですし、それこそが大切で尊いことのように私は思います。
つい人はいち早く結果を得ようとしたり、上達を望んだりするものです。でも、上手くなることを焦ることはありません。
それは、すぐに何でもできてしまうスーパーマンはごく僅かしか存在しないからです。普通の人は地道に諦めずに、好きだという気持ち、やりたいという気持ちを大切にしながら一歩一歩歩いていけばいいわけですし、みんなにスーパーマン要素を求めたら、精神的にも肉体的にも潰れてしまう人が続出してしまうことでしょう。
できなくて当たり前。そう思ってやっていくことが実は最終的に上達するための秘訣かもしれません。
そう思うのは、才能だけに頼って努力をしなかったり、才能があることに気づかなかったら、いくら生まれながらの能力を持っていたとしても発揮することなく人生を過ごすことになるかもしれないからです。
確かに才能はあった方が得をするかもしれません。でも私は、才能を潰さないように育てることも大切だと思う一方で、才能を開拓していくことの方が重要だと考えています。
才能があるものに出会えるかはある程度やってみなくては分からないわけで、「自分は才能がないからダメだ」と思っている人は、ただ自分を活かすものにまだ出会えていないだけなのかもしれません。
そのように考えると、才能があるかないかが重要なのではなくて、その人が持っている能力を最大限に発揮するためにはどのようにすればよいかを考え、手助けするのが教育というやつで、その一つの方法がアレクサンダーテクニークなのだと思います。

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その人が本当にしたいことを叶える手伝いをするのが自分の仕事。そんな風に思うわけです。
自分には人を育てるなんてたいそうな才能はありません。でも、人が成長していく姿を見るのが好きだし、そのために頑張ろうと思う気持ちはある。「人を育てることなら誰にも負けない!」くらい言えたら本当はカッコいいのかもしれないけれど、残念ながら周りにすごい人がいっぱいいるから自信は全然ありません。でも、諦めずにやっていきたいと何故だか思うのです。
ラッパ吹きとしても教員としても吹奏楽指導者としても、いずれなるであろうアレクサンダーテクニーク教師としても、きっと生まれながらの才能はないし、ずっと勉強の日々なのだろうけれど、突き詰めていきたいという気持ちを貫くことで頑張っていけるような気がします。
そう思わせてくれた周りの人たちに感謝したいと思うし、その気持ちを行動で著せるように頑張りたいと思います。

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