否定ではなく、前向きに上達していくために ~前に立つ上で考えたいこと~

昨日はレッジェーロフィルハーモニー管弦楽団の練習に今季初参加してきました。この楽団はもともと青学オケの先輩方が中心となってつくった一発オケが基になっており、指揮者も青学オケ常任指揮者を務めて頂いていた清水宏之先生にずっとお願いをしています。
というわけで、清水先生には学生時代から20年近くお世話になっていることになるのですが、20年間、先生が罵声を浴びせたり、相手を否定するような言葉を使っているのをほとんど見たことがありません。昨日のTuttiでも、
「あなたの頭の中で鳴っている音を俺は聴いてるから~、大丈夫!」
「今日はみんなきてるよ~! だからもう1回やらせて下さい。もっと集まれるはず!」
などのように、決して奏者を否定せずにモチベーションを上げて、自然に練習を前向きに進めていこうと指導して下さいました。
だからといって、できていないところを見逃したり、ただ優しくて甘いだけでもありません。きちんと楽曲をつくりあげていく上で、指揮者としてやって欲しいことは伝えてくださいますし、できるようになるまでしつこく向き合ってくださるところもあります。そして何より、アマチュアと言えど一人ひとりのことを信頼して、ちゃんと奏者がやりたいことも尊重して下さいますし、そのために必要なことをアドバイスして下さいます。
昨日、たまたまTwitterのタイムラインにこんなツイートが流れてきました。
『学生指揮者で駄目なのは、「もうぜんぜん出来てない」って全否定すること。同じ年代の人に自分たちの音楽を全否定されるのって流石に堪えるよな。言い方にも程があって、「~すればもっとよくなる」とか?逆に考えるんだ…もっと成長できる。ってね。』 (吹奏楽部の学指揮botさん @conductor_brass)
『中学の吹部の時もそうだったな、楽しい曲なんだから楽しそうな顔をして!身体を動かして吹きなさい!吹奏楽は視覚的にも何かを訴えたいものなのかもしれない。でも耳から聴くだけでは表現しきれない何かをごまかしてる気もする。まぁ、別に嫌なわけじゃないからやるんだけども、違和感なんだよなー』(みほさん @miho_tp)
そんな時に改めて清水先生の指導に触れて、「自分の理想の指導者像」は、ここで培われていったのだな」と思いました。
同じことを指摘するにしても、どうすればもっと良くなるのか、具体的なプランを提案することが前に立つ人の役割で、全否定して焦りや自己否定の感情を煽るのが役割ではありません。
また、表現も強制されてするものではなくて、自分からあふれでてくるものが自然に表れるもののように思います。どう表現するかのアドバイスはしたとしても、それはmustなものではなく、奏者が選べるものである必要があります。

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これらのことを清水先生から自然に学んでいたのだなと。
自分は恵まれた環境で音楽をやれていたのだなと。
そんなことに気付いて、自分の指導に対する姿勢を振り返ってみると、生徒のことを罵倒したり、否定したりすることもあったなと正直なところ思います。せっかく手本となる指導者を見て育ってきたのに、それを生徒たちに還元できていなかったなと少し反省しました。
アレクサンダー・テクニークを学び始めて、「否定する」「強制する」ということが、人が心や体を使っていく上で本当にマイナスになるのだということを考えるようになりました。それが今の自分の心を解放し、とても楽しく音楽と向き合うことができるようになったと思います。だからこそ、多くの子どもたちが自分のことも他人のことも否定するのではなく、それぞれの存在を肯定して、互いに高め合っていくような関係づくりができるような部活動の姿を広めていくこと、それが今の自分の夢だったりもします。
その夢のために、また今日から頑張っていきたいと思います。

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