「見る」ではなく「見えている」 ~ATレッスン記録~

久々の更新です。
1週間前のBody Thinkingの授業で学んだことを自分なりにまとめておこうと思います。
■「見る」ではなく「見えている」
タイトルにも書いた「見る」ではなく「見えている」と言う状態。
一見すると同じことのように思えますが、実際にやってみると体の使い方がだいぶ変わります。
人は「見る」ことをしようとすると、どこかに注目しようとするものです。
そして、首が固まってしまい、体全体の硬直につながってしまいます。
でも、「何となく見えている」と思ってみると、頭・脊椎の関係は自由に動ける状態のまま、意外と周りの情報が沢山入ってくることに気づきます。
車の運転をしているときのことを思いだしてみましょう。
運転をしているとき、私たちはどこを見て運転しているでしょうか。
一点だけを見つめているでしょうか。
…そんなことはありませんね。周りの風景が次々と流れていく中で必要な情報をつかみとっているはずです。
演奏をしているときも同じことが言えます。
楽器を吹くとき、私たちは一点だけを見つめているのではなく、その視界の中に譜面や指揮者、オーケストラのメンバー、聴衆などたくさんのものが入っていて、その中から必要な情報を選び取りながら演奏をしています。
だからこそ、「頭が動けて、体全部がついてきて、周りが何となく見えている状態」で歩いたり、楽器を吹いたり、たち座りをすると、とても自由に体をしなやかに使うことができるようになる気がしました。
■頭・首を固めていた犯人は“メガネ”だった!
私は最近メガネをかけていることが多いのですが、メガネをかけているとついメガネの視野の中に眼球を固定しようとしてしまうようで、それに従って頭・首・脊椎が固まってしまうという現象を、先輩トレーニーのレッスンから学びました。
その方は、メガネをかけているとつい一点を見つめてしまい、動くときにどこかぎこちなさが生じてしまうようなのですが、メガネを取ってみると視野が広くなり、自然に立ち座りができるようになったとのことでした。
自分でも試してみましたが、確かにメガネをかけていると、メガネのフレームの中に視野を固定しようとしたり、メガネが落ちないようにしたりと、メガネをかけていることによって頭・首・脊椎を固めているなと感じる事が多いように思いました。
これからしばらくコンタクトレンズにして、比較実験をしてみたいと思います。
■背中で相手を感じるアクティビティ
先生が教えてくださった「全体を見る」ことを感じるアクティビティを紹介したいと思います。
①二人一組になって、背中合わせになって立ってみます。
②一点を見つめてみます。
③全体を何となく見てみます。
④嫌なことを考えてみます。
⑤楽しいことを考えてみます。
たったこれだけのことなのですが、②、④のときは体が何となく固まっていて、③、⑤のときは相手の背が少し伸びたような感覚を背中で感じる事ができます。このことからも、「何かをしよう」と意識的に行動したり、否定的なことを考えたりすると、知らず知らずのうちに頭が固まってしまうのだなということが分かりました。
これをお読みのみなさんもぜひ、機会があったら試してみてくださいね!
■人は「するな」と言われると反抗心が湧く
人は「するな」と言われたことに対して、反抗していく傾向があるそうです。だから「~しないようにする」という指示を与えようとすると、無意識のうちに体が逆らってしまうことがあるようです。したがって、アレクサンダーさんが「頭を下げないようにする」という代わりに「頭を上に」と意識し続けたのと同じように、起こっている原因を解消するための“代案”を出してあげることが大切だということでした。
今回のレッスンを通して改めて、
・他人を「いいuse」で見ることはお互いにとってよいこと
・一つひとつの動作について、自分の面倒を見るようにすると普段から変わっていく
・体は余計なことをやろうとしなければやってくれる
・自分との関わり方が変わると、世界との関わり方が変わっていく
・ATを学ぶとは、自分が自分の先生となって使えるようになるための練習であること
ということを学びました。今回も学びの多いレッスンをありがとうございました。

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