「部活はダメ出し文化」について考える

少し前にTwitter上で「部活はダメ出し文化」なのかというツイートを見かけました。振り返ってみると、私が顧問をしている部活でも「今やったところのダメ出しをお互いし合ってください」という指示を耳にすることがあります。
確かに今自分たちがやってみて「ダメだったな」と思うことを確認し、それを改善するために何をすれば良いかを考え、次に繋げていこうとすることは分からなくもありません。でも、あまりにも「ダメ出し」を続けてしまうと、「できているところ」「良いところ」に目が向かなくなってしまい、自己肯定感を下げていってしまうことにも繋がりかねません。
ではなぜ、部活ではそのような危険な「ダメ出し」が日常茶飯事に行われているのでしょうか。
それは、日本の教育への考え方そのものに原因があるような気がします。
よく考えてみると、「ダメ出し」はなにも部活だけでなく、教科指導や生活指導を含めた学校教育、さらには家庭教育でも日常茶飯事に行われていることなのだと思います。
例えばテストの点数が悪かった時、私たち教員は「できなかったところ」に注目をさせ、できるようになるまで繰返しやり直すように指導をします。もちろん、入学試験のように一点を争うような試験を突破するためには弱点をいかになくすかが勝負ですし、苦手ともじっくり向き合うことは必要です。でも、やはりここでも「ダメな自分」ばかり突きつけられたら、モチベーションを保つことは本当に大変なことだと思うのです。
確かに命の危険を伴うことだったり、マナー上の問題で「ダメなものはダメ」と大人が壁となって子どもに教えることは必要なことだと思います。でも、「あれもダメ」「これもダメ」とダメ出しばかりされて育った子どもはどうなるでしょうか。恐らく自由に発想したり、行動したりすることを敬遠する子どもが育つのではないでしょうか。
もしかしたら、芸事でも勉強でも、一定のところに達するまでは、師匠(先生)の言うことを守り、言われた通りにやり、土台を身に付けるべきだという考えもあるかもしれません。その過程で、師匠が言っていること以外は「ダメである」という風に教えることもあるのかもしれません。
でも人間は一人ひとり違った考えを持ち、違った体格をしていて、それぞれに合った上達の仕方というものがあるのだと思います。だからこそ、「今やってみてできたこと」に注目し、それはなぜできるようになったのかを考え、では次にどのようなことを目指し、そのために何をすれば良いかというプランを立ててやってみる、その繰り返しの中で少しずつ上達していけば良いのだと思います。
お世辞で褒める必要はありません。
でも、ありのままを伝えることが褒めることにつながるならば、積極的に伝えていくべきだと思います。そうすることで「できることがある自分」に自信を持ち、さらに前進していくエネルギーを得ることができるからです。
「ダメ出し」しかできない指導者は、「よいところ」を引き出すことができません。それは気付きが足りなかったり、よいところを伸ばしていく道筋を知らないから起こる現象でもあります。つまり、「ダメ出し」は不勉強から生じるものなのだと思います。
自戒も込めて、子どもたちに「ヨイ出し」をどんどんしていける指導者になれるように頑張っていきたいと思います。

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