音楽は競技でも根性でやるものでもない

とある投稿を見ていて「吹奏楽部は運動部」「コンクールは競技」「モチベーションは顧問の力量」という意見が並んでいることに気づいた。確かにそれらの意見には一理あるし、否定するつもりもない。でも意味をはき違えて、勝つことだけが目標のスパルタ式根性論指導が正当化されるのは避けたい。
「だからコンクールで勝てない」と言われたら反論の余地はない。確かに高いレベルで音楽を楽しむためには地道な努力も必要だし、子どもたちにそれを求めるには顧問との信頼関係は絶対に必要なこと。強制力も時には必要かもしれない。でも、人から強制されてやることは、果たして長続きするだろうか。
コンクールに出るからには、自分達が持てる最大限の力を発揮して勝負すべきだし、少しでも良い結果を目指して練習する必要がある。それができないならコンクールには出ないという選択をすればいい話。でも「コンクールに勝つ」ことだけが目標になったら、これもまた音楽とはかけ離れてしまうと思う。
本来、音楽は「競技」でも「根性でやるもの」でもない。自分の中に「奏でたい」という純粋な気持ちがあって、それを実際に表現していくために試行錯誤する過程があって、その中で感性や技術、表現力が磨かれていくものだと思う。指導者の役割は、「奏でたい」という一人ひとりの思いを引き出すこと。
指導者の思いを伝えることは大切だけれど、決して指導者の思いを強制することとは違う。「強豪校」と言われる学校の先生のほど、生徒一人ひとりの思いを大切に指導されているように思う。だからそこには固い信頼関係があり、自ら奏でようとする子どもたちの姿がある。そして奏でたい音楽が実現する。
人は誰でも向上心を持っている。中にはスパルタ式根性論がマッチして、負けてたまるかと頑張れる子どももいるかもしれないけれど、それで潰れてしまう子どもだっている。だからこそ指導者は精神論だけでなく理論できちんと説明できるようになる必要もあるし、一人ひとりに合わせたコーチングが必要。
青学の駅伝の「ワクワク大作戦」が話題になったけれど、これは吹奏楽にも当てはめて考えられること。子どもたち一人ひとりが目標に向かってワクワクしながら練習できる環境をつくること、そして聴き手がワクワクするような音楽づくりをすること、それがこれからの指導者に求められる力量だと思う。
(Twitterまとめ)

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