音符一つ一つを自分の言葉でメッセージとして表す ~大井剛史先生の言葉から~

昨日は古巣であるプロ―スト交響楽団の第九の練習でした。
指揮者である大井剛史先生はいつも分かりやすく丁寧に指導して下さるし、その求めている音楽がとても素敵で、私も大好きな指揮者の一人ですが、中でも今回の練習の言葉はとても心に染みるものでした。
それは、
 ・音楽とはコミュニケーション
 ・みんなの音楽が聴きたい、もっと自己表現を!
 ・もっといろんなものを見て、聴いて、感じて!
 ・音符一つ一つを自分の言葉でメッセージとして表す

というものです。
どれも本質的なことで、何より大切なことと思います。そして、音楽を奏でる上でどれも忘れてはいけないことのようにも思います。
自分が「~したい」と思える音楽のために、自分を取り囲んでいるいろんなものに五感をはたらかせて感じ取り、不器用でもいいから思い切り表現をしてみる。その積み重ねが「自分たちの音楽」をつくり出し、聴き手に感動を与えるのかもしれないなと。そして、そういう音楽を奏でられるようになりたいなと。そう強く思う出来事でした。
また「みんなが学生時代どんな風に音楽をやってきたかわからないけれど、みんなからは生徒臭がする、生徒臭をさせないでくれ」という言葉がとても心に引っ掛かりました。
確かに日本の音楽教育は指導者が一方的に指示を出して、奏者(特に学生の場合)は受け身になってしまうことも多いのかもしれません。これは音楽に限らず、どの科目にも言えることのようにも思います。
そう考えると、教育現場において、どんな教育が行われるかは非常に重要な課題であるような気がします。生徒に教え従わせるのではなく、気づかせ力を引き出し、伸ばすサポートをすること。指導者がそういった姿勢で生徒と向き合うことが切実に求められているように思います。
自由に堂々と自信をもって自己表現をしていき、本当に心から音楽を楽しむためには、土台となる知識や技術も必要だけれど、何よりも「~したい」と思える感性や強い想いを日頃から磨いていくことも必要です。
指導者がその芽をつんでしまうなどもってのほか。その芽を見つけて大切に育てられるかが指導者には問われている気がします。
音楽にはいろいろな可能性があります。だからこそ、指導者も奏者もいろいろな音楽があり、それを実現するための方法もいろいろあるということを分かった上で、自分(たち)に本当に必要だと思ったことを選び取っていける力が必要なように思います。そして、そこまで音楽を噛み砕いて自分のものにして初めて、聴き手の心に音楽が届くのだなと改めて思い知らされた気がします。
トロンボーン奏者の福見吉朗さんが、私のツイートに対して次のようなリプライを下さいました。
自分たちの音,演奏に意識を向ける効果が大きいと思います。「さっきと今と何が変わったと思う?」って訊きます。その部分を吹いてなかった子にも。答えられないと,「聴いてなかったね?」って言いますから,より音に意識が向くようになります。その積み重ねは大きい。
とても納得するご意見だと感じました。
まず意識をはたらかせることからはじめることってとても大切だと思いますし、それを言葉で表現できる力も必要な力のように思います。そして、それが自分たちの音楽表現につながっていく。そういうサイクルをつくれたらいいなと思います。
難しいことかもしれないけれど、少しでもそういう指導ができるように頑張っていきたいです。
(Twitterまとめ)

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