厳しい練習=辛い練習?

物事を追求し、深めていく過程では、どうしても「厳しさ」は必要になってくるかと思います。
それは、「もうこのくらいでいいや」「これくらいが限界だ」などと妥協した時点で、それ以上の向上は望めないからです。自分が本当に心から「やりたい」「成し遂げたい」と思ったことについては、どんなことがあってもやり切る、それくらいの気持ちが必要であるように思います。
「厳しい」という言葉を辞書で調べると、次のように記されています。
①厳格で、甘えを許さない。
②程度がはなはだしい。
③緊迫している。厳重にしている。

言葉の意味からも、「自分に甘えを許さずにやる」ということが、「物事に厳しく取り組む」ということになるかと思います。
しかし、「厳しい練習」は行きすぎると「辛い練習」に変わってしまいます。
「辛い」という言葉を辞書で調べると、次のように記されています。
①我慢できないほど苦痛を感じている。
②人に対して思いやりがなく意地が悪い

本来、自分が心からやろうと望んでやっていることが、いつの間にか苦痛に感じてしまう。そういうことは誰でも経験があるかもしれません。真面目な人ほど、徹底的に甘えを許さず、自分をいじめ抜く結果、好きなことを「辛い」と感じるようになり、鬱病などの精神疾患に陥ってしまうことも少なくありません。
確かに我慢して何かをやらなければいけないこともあります。
でも、一度しかない人生だからこそ、自分のやりたいことを心から楽しんで全うすることも大切なことだと思います。
だからこそ、「厳しい練習」と「辛い練習」は似ているようで違う気がします。
それは、厳しい練習でも、 目的をもって、自分が心から望んでやったことだと、それは辛いものではなく、自分の向上心を満足させる幸せな練習だと考えられるからです。投げ出したくなるくらい辛い練習を積み重ねても、心から満たされた音楽にはならないように思います。
自分に厳しく、でも自分を追い込みすぎず、自分イジメを徹底的にすることなく、「楽しいからやる」「やりたいからやる」という思いを大切にして練習に取り組んで行けたらよいように思います。
(Twitterまとめ)

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