危ない根性論は捨てるべき! ~羽生選手の事故を受けて~

昨日のフィギュアスケート男子フリー。最後まで滑りきった羽生選手の気持ちの強さはすごいし賞賛できるけれど、脳震盪など生死にも関わる危険性を孕んでいる状況でも滑らせてしまった周りのサポート陣の判断には疑問を感じています。
そしてそういう環境を作り出している源にはやっぱり根性論が根強くあるのだろうなと思います。
それは、多くのメディアが「羽生選手の精神力は素晴らしい!」と賞賛のコメントをしていることからも分かります。
やはり日本という国がまだ「精神力」「根性」「気合」というものが美しいもので、それこそが賛美されるべきものであるという意識が強いんだろうなと改めて思わされました。
確かに周りからの期待もあるし、何より羽生選手自身が表現したいと強く願う気持ちが今回の演技を生み出したのだと思うし、その精神力の高さはすごいと思います。
でも、本当に長い目で競技人生を見たり、より自分の表現したいものを良い状態でお客様に見せるには、休む勇気も必要だったのかもしれません。ただ、そうできない何かを、彼自身に負わせてしまっていたのもまたメディアであり、私たち国民なのかもしれません。
音楽でも同じだと思います。辛い練習を耐えてこそプロになれる、どんなことが起きてもやりきるのがプロ、というイメージは確かにありますが、そういうイメージが定着していること自体が、何か違うような気もしています。
確かにものすごく練習しているけれど、根性でやるわけでなく、音楽を本当に楽しんでいるからこそプロである気もします。
過剰なプロ根性は、時として自分自身を突き刺すナイフに変わることがあります。どんな時でも、自分のことを本当の意味で大切にすることが、根性で頑張りつづけることよりも賞賛されるような世の中になっていけばいいのになと改めて思いました。
最後に、今回事故に遭った二選手が大事に至ることなく、またご活躍されることを祈っています。
(Twitterまとめ)

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