「僕が僕であるために、勝ち続けなきゃならない」のか?

母校の先輩ということもあり、歌手の尾崎豊さんは以前からとても身近な存在に感じています。
そんな尾崎さんの代表作の一つに「僕が僕であるために」という歌があります。私自身も好きな曲の一つですが、今日はその歌詞について少し考えを呟いていこうと思います。
僕が僕であるために 勝ち続けなきゃならない
正しいものは何なのか それがこの胸に解るまで

有名なサビの部分の歌詞です。
でも本当に勝ち続けなきゃならないのでしょうか。
私は負けず嫌いな方なので、勝ち続けなきゃ、とつい思ってしまう方ではあるのですが、決してそうでもないように最近では思います。
勝ち負けにこだわり、強がって弱さを出せないのは、自分の気持ちに嘘をついているということにもなります。
音楽は強さも弱さも全て受け入れてくれるし、表現させてくれるものです。だからこそ、強がっててもいけないし、甘えすぎてもいけないような気がします。
でも、素直に自分を出していくことこそが、本当に心のこもった演奏になることは確かだと思います。
人に何を言われようと、人からどう思われようと、自分が心から良いと思ったことにどれだけ本気で取り組むことができるか。失敗しても、なかなか上手くいかなくても、諦めずに挑戦し続けることができるか。本当に好きで望んですることならば、それくらいの覚悟が必要な気がします。
好きだと思えるものを正々堂々と好きだと言い切れる自信を持つことができたら、きっと音楽も前向きに力強く奏でることができるようになるのだと思います。
自分の中にある小さな自己否定の気持ちは、大きな自己否定の行動に変わっていきます。思いが強くなるほど自信がなくなるのは、結局失敗が怖いだけなのかなぁとも思います。
音楽に込められた想いは人の心を揺り動かします。そして、揺さぶられた心は一生その至福の一瞬を忘れることができないものです。
それが時としてよい音楽を生み出し、同時に面倒くさい執着心も生み出す。本当に大事なものは何かを考えて、それを心から大事にできる自分でありたいと思います。
自分が自分らしくあるためには、どんなに弱いところも受け入れて、ありのままの自分に自信をもつことが必要である気がします。
人のことを羨むくらいだったら、自分が頑張ればいいだけのことです。足の引っ張りあいになったら、それこそ逆効果になってしまいます。羨望の気持ちを向上心に差し替えて、運も味方につけて楽しんだもの勝ち。そんな風に楽に考えて、心からやりたいと思うことに熱中することが一番の幸せなように思います。
我ながらいろいろ考え込んでしまうところが面倒くさいところですが、いろいろ考え込む中で見えてくることもあります。
もっと素直に自分をさらけだすことができたなら、どれだけらくになれるだろう。どれだけ音楽を豊かに表現できるだろう。そんなことをふと思います。
結局のところ、まとまりのない文章になってきているのでこの辺でやめておこうと思いますが、物事を勝ち負けではなくて、自分がやりたいと心から願うことを自分なりにやれていたらよしとする、そんな寛大さがもっと必要なのかもなと思うのでした。
(Twitterまとめ)

iQiPlus

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。