「吹奏楽に特有の変なこと」を考える ~BJ10月号の記事を読んで~

今さらですが、ちょっとちまたで話題になっていたバンドジャーナル10月号p.36の後藤洋氏のコラム『「吹奏楽に特有の変なこと」を考える』を読んでみました。
確かに考えてみると、プロの演奏よりも、”コンクール強豪校”の演奏スタイルを真似し、それが連鎖することによって、音楽とは関係のない「慣習」がたくさん生まれているような気がします。
例えば、演奏スタイル、練習方法、曲、姿勢、身体の動き、衣装 etc…
自分自身(奏者時代、指揮者になってから)を振り返ってみても、「金賞のとれる曲」「金賞を取っている学校の練習方法」などをただ真似して取り入れようとしたことは多いように思います。結果的に良かったこともあるけれど、結果として“特有の変なこと”を導入していたなと思うことも少なくありません。
そういえば高校時代、他校から転校してきた先輩が、「前の学校では先生が『もっと揺れろ』と揺れ方まで指示していたんだよ」とおっしゃっていたことを思い出しました。自分も一時期(今でも若干)不自然に揺れるのが癖になっていたのですが、最近になってアレクサンダー・テクニークのレッスンの中で、バジル先生に「せっかく持っているエネルギーを体を揺らすことに使ってしまい、音に使えていない」とご指摘いただき、無理のない範囲で身体の揺れを抑えるようにしたら、音がすごく前に飛ぶようになりました。このように、指導者のちょっとした一言が、逆に奏でている音楽を音楽的ではないものにしてしまっていることは少なくありません。
それを後藤氏は記事の中でざっくりと切り込んでいます。
中でも特に心に響いたのは最後の二段落です。
・吹奏楽に限ったことではないが、客観的な判断力を失い、外の人々や他の分野から見れば奇妙なことを「常識」と思い込んで、「独自の進化」を遂げていることが―これほど情報が豊富になっているにもかかわらず―増えてきたようだ。
・コンクールが一段落したら、活動の内容や、練習の方法や、演奏する曲や、挨拶や返事や、姿勢や、身体の動きや、「起立」を含め、何が当たり前で意味のあることなのか、あらためて考えてみてはいかがだろうか。常識と客観的な判断力のある人が奏でる音楽は、それだけたくさんの人々の心に届くに違いないから。

この2つの問題提起は、吹奏楽に携わるすべての人が考えていくべき課題であるように思います。
自分自身、大学で管弦楽団に入り、それまで普通だと思っていた吹奏楽の独特な慣習が必ずしも当たり前のことではないということに気づくことができました。それに気づいた上で改めて「吹奏楽」という演奏形態に触れることで、呼吸法、姿勢、長時間チューニングなど、様々なことに疑問の目を持って接するようになった気がします。
確かに全国の多くの吹奏楽部が「コンクール」や「コンテスト」というものに振り回されているように思います。上手な学校がどうしているのか、上手な学校を真似して、自分たちも結果を残そうと思う、そういうところから、「独特な慣習」までもが普及し、「強豪校」と呼ばれる学校が神格化され、全国の中高生の憧れの的となっています。
それ自体は否定しないし、それがあるから進歩してきたところもたくさんあると思います。だから私自身もバンドクリニックや他校の練習見学などはこれからも積極的に参加し続けようと考えています。
でも、それにとらわれずに自分たちらしい音楽づくり、ステージづくりをするのもまた大切なことのように思います。
数年前の定演で、「オペラ座の怪人」を器楽版ミュージカルのようにしてやったことがあります。台本から演技、ダンス、照明など演劇部さながらの演出を生徒たちが中心となって作り上げました。足りない曲は自分たちで編曲もして、すごく大変だったけれど、忘れられない本番でもあります。
演奏自体を冷静に聴いてみると決して上手だとは言えません。でも、何かを作り上げようというエネルギーと、魅せようとする熱意が、お客様の心を動かしたと思うし、自分たちでも楽しかったし、達成感がありました。
金賞をとることは素晴らしいけれど、それだけが吹奏楽の楽しみ方ではないような気がしてなりません。
今になってコンクールを振り返ってみると、どの曲も思い入れは強いですし、仲間たちのことを思うと懐かしいけれど、同時に泣きながら怒鳴られながら追い出されながら練習した記憶も甦ってきてちょっとつらく感じるところもあります。だからどこかで、自分はそういう指導をしないで心から楽しめる音楽を求め続けているのかもしれません。
子どもたちに一流のプロの演奏を、できれば生で聴く機会をつくること、そして本当に音楽にとって必要なものは何かを考えて判断する力を身につけてもらえるようにすること。
それは、私たち大人に課せられた責務であり、今後の吹奏楽の、音楽の進歩のために絶対に必要なものであるように思います。
とある全国バンドの先生が、
「こうやる方法が音楽的じゃないことは分かっている。けど、今のコンクールで“勝つ”ためには、割り切ってやらなければいけないことがたくさんある」
とおっしゃっていたのを思い出します。
吹奏楽が、吹奏楽コンクールが、これからを担う子どもたちにとって本当に純粋に音楽を楽しみ、心から愛し、音楽を通じて人間的に成長していくためのものになっていくために、一石を投じられるように頑張っていきたいと思います。
(Twitterまとめ)

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「吹奏楽に特有の変なこと」を考える ~BJ10月号の記事を読んで~” への1件のコメント

  1. BJ12月号 『「吹奏楽に特有の変なこと」の背景』を読んで

    Band Journal 10月号に作曲家の後藤洋氏が「吹奏楽に特有の変なこと」として記事を書かれていました。それに対しては私もブログ(http://rapparapa.at.webry.info/201410/article_10.html)の中で感想を書きましたが、今回改めて後藤氏が『「吹奏楽に特有の変なこと」の背景』と題して、Band Journal 12月号 p.44に記事を書かれていたので、今日のブログはその感想をつぶやいていこうと思います。

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