吹奏楽部は体育会系!なのか? ~音楽は根性でやるものではない~

昨日の練習が終わった後に、ふと生徒たちの会話を聞いていたとこと、次のような言葉が耳に入ってきました。
「吹奏楽部って、本当は運動部みたいなはずじゃん。うちの部活は先生が甘いよ。だから強くなないんだ」
正直、言われることもあるだろうなと思いつつ、実際に耳にするとショックでした。
それは、ただ甘やかしているわけではなく、「吹奏楽部≠体育会」という明確な意志のもとやってきていることだし、生徒たちにも普段からそのような想いのもとで接してきたからです。
私自身、中学の吹奏楽部の部訓は「吹奏楽部は体育会系だ!」だったので、ずっと根性論で吹いてきたし、指導をするようになってからもしばらくは「体育会系」でやってきたところはあります。確かにそのおかげでできるようになることもあったと思うし、人間的にも成長できたところはもしかしたらあるかもしれません。
でも、やっぱり今自分が音楽と向き合っていく中で、「吹奏楽部は音楽を奏でる部活」だと思うし、決して「熱血・根性の体育会」ではないと思うのです。
それは、「~しなければならない」「間違えてはいけない」という“追い込み型have to思考”で音楽をやっても、楽しくないし、何より演奏が音楽的なものにならないということが分かってきたからかもしれません。
確かに“コンクール強豪校”の練習を見ると、呼吸法、姿勢、奏法チェック、音程確認などが実に丁寧に細かく行われています。「間違えてはいけない」「外してはいけない」というのも、コンクールで“勝つ”ためには必要なことかもしれません。それによって得られることも多いのは分かりますが、それを意味も分からずにただ真似して、「形」が「義務」となるのは本質と異なるようにも思います。
音楽が楽しくて楽しくてしょうがないから、聴きたいし、奏でたいと思う。
奏でたい音楽があるから、そのために力を積み重ねていきたいと思う。
そんなサイクルを日頃からつくっていけるようにしたい。そして、間違えたり、外したりすることを怖がらず、そこにある”音楽の流れ”を第一に考えるのが、音楽の本質であるような気がします。
そして、奏でたい音楽があって、それに近づいていくためにどんな道があるかを示すのが指導者の役割だと思います。
そこが足りないから、生徒たちにも「自分たちは頑張っているのに結果が出ない」という思いをさせてしまっているのかもしれません。
まだまだ勉強不足です。
いつか、生徒たちの口から自信を持って「音楽を奏でることを心から楽しむことが吹奏楽部の目的」という言葉が自然と上がってくるような部活にしていけるように頑張りたいと思います。

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