吹奏楽の旅・雑感 ~2/5スペシャルを見て~

昨日の「吹奏楽の旅」は、トランペットパートに焦点が当たっていたこともあってか、自分の高校時代とも重なって、非常に思い入れ強く見てしまいました。
トランペットのトップの子と部長の子が本当に力を合わせてパート全体をまとめあげようとする姿、自らのトランペット奏者としての経験から熱く指導されている先生、本当の信頼関係がなければ、ああいう練習はできないだろうし、それについていこうとする部員たちの気持ちの強さがなければ、あの感動は得られないのかもしれないとも思った。
安城学園の演奏を初めて聴いたのは、高校3年の時、自分たちが自由曲でコダーイ作曲の「ハンガリー民謡“くじゃく”による変奏曲」をやることになり、その参考音源として聴いた時だ。いろんな学校の「くじゃく」を聴いたけれど、私は安城学園の「くじゃく」が好きで、それ以来の安城サウンドのファンである。
そんな安城学園の特集が「吹奏楽の旅」で放送されることになり、本当にうれしく思ったし、こんなに厳しい練習を乗り越えてつくられてきたサウンドなのだと改めて思った。
先生と部員の信頼関係の強さ。
自分はあれだけ部員と正面からぶつかっていけているか。
部員の心に届く指導ができているか。
いろいろ考えさせられた。
同時に、自分が「こうしたい」という指導も明確になってきた。
毎回のことだが、この番組で「出てけ!」と言われているのを見ただけで高校時代のことを思い出す。あの頃は音を外すことが犯罪のように感じてたなぁと…。未だにトラウマかもしれない、と。
もちろん日頃からの信頼関係が合っての「出てけ!」は愛のムチととれるかもしれない。
でも、ただ「出てけ!」と叫ばれた方としては、いくら自分の演奏がまずかったとしても、間違えたり、外したりすることに極度の緊張を抱くようになる。その緊張感がちょうどよい子どももいれば、それで萎縮してよけいに自分の中にある音楽を発揮できなくなってしまうこともある。
私は後者であった。
今回も番組を見て、改めてラッパのトップにかかるプレッシャーを感じた。自分も下手くそながらずっとトップをやってきたけれど、年を重ねるごとに外すことへの恐怖感が増幅されてきた。
そこで出会ったアレクサンダーテクニークの考え方。
「外しちゃってもいいからやってやる~!くらいの気持ちでぶつかっていく」
確かにその方が結果として上手くいく。それくらい心を開いてやっていけるか。
バジル・クリッツァーさんのブログにもあるように、指導に使う言葉には十分注意する必要があると思う。
http://basilkritzer.jp/archives/2083.html
まだまだ学び始めたばかりだけれど、アレクサンダーテクニークの考え方を活用しながら、生徒を萎縮させず、でも真の意味で厳しく(=「したい」と思う音楽をとことん追求していく)指導できたらなと思う。
要は、自分たちが伝えたいものを全力で伝えようとして、聴衆の心に響く演奏ができたらいいのだと思う。
金賞はその結果ついてくるもの。
自分が唯一金賞(といっても地区大会ですが)を受賞した時の演奏は、生徒たちが心から音楽を楽しんでいたし、みんなが一つの方向を向いて、私の棒についてきてくれた。
もちろん県大会出場という目標をもってやっていたけれど、その時は純粋に音楽を楽しんでいたと思う。
音楽の楽しさはとことんやってみないと分からない。
表面の楽しさだけではなくて、本当の楽しさを一人ひとりが知った上で、その楽しさを客席に届けるような演奏をできるようになりたい。
今回の番組を見て、改めてそう思った。

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