私は、体格の良さとしゃべりがゆっくりめであることも関係してか、人から「堂々としている」「落ち着いている」と言われることが多いのですが、頭の中はどうなっているかというと、かなり高速回転してパニックになっていることも少なくありません。
例えば大勢の人前でしゃべる時。
今でこそ、毎日40人くらいの生徒を前にして授業をしているのでだいぶ慣れてはきましたが、もともとは人前でしゃべるのはとても苦手です。心臓はバクバクになるし、言おうとしている言葉は真っ白になるし、自分でも何を言っているのか分からなくなってしまうことは、日常茶飯事です(特にアドリブでコメントを求められるなどは非常に苦手です)。
このように、緊張することによって、自分の思うようにいかないという経験は、誰にでも起こることだと思います。今日は、自分がどのような時にパニックに陥りやすいのか、その時どのようなことを考えていて、からだの動きはどうなっているのか、ということを思い出しながら、緊張したときに、どのように対処できるのかを考えてみたいと思います。
|「本番になるとうまくいかない」のはなぜか?
楽器を始めてからこれまでの本番を思い返してみた時、「一番調子よく吹けたのはどんな時だろう?」と考えてみると、圧倒的に多いのは“ステージリハーサル”の時です。お客さんの入っていないホールはより響きますし、適度な緊張感で気持ちよく吹くことができるので、ステージリハーサルは結構良い思い出が多いです。
しかし本番はというと、今まで当たり前のようにできていたことができなくなったり、頭が真っ白になって譜面の段を飛ばして読んだり、全員休符のところで一人飛び出したり、全然音が出なくなってしまったり・・・と、悲しい記憶がたくさんよみがえってきます。ステージリハーサルが良かっただけに、余計にそう思うのだと思いますが、こんなことばかり繰り返されたために、いつの間にか「本番恐怖症」に陥り、「ずっと練習だったらいいのに」とさえ思う人間に育ってしまいました。
では、リハーサルと本番の違いは何なのでしょうか?
・・・もちろん、お客様がいるかどうか、ということが一番の違いです。
でも、決してお客様に妨害されたとか、脅されたとかいうことはありません。なぜこのお客様の存在があるかないかだけで、状況が変わってしまったのでしょう。本番の時の自分にはどのようなことが起こっているのでしょうか?
・・・恐らく「失敗したくない」という感情が、通常モードよりも強くなっていたのではないかと思います。
それでは、なぜ「失敗したくない」という感情は、本番でより強くなるのでしょうか?
・・・その根底には「自分のことを良く見せたい」「頑張ってきた成果を人に認めてもらいたい」「ミスを責められたくない(怒られたくない)」といった、“人にどう思われる(評価される)かが心配”という思いが強くはたらいているように思います。
もちろん、今までやってきたことが出し切れて、失敗することなく本番を終えることができたら気持ち良いものです。でも、本番の目的が「失敗しないこと」「怒られないこと」になってしまっては、「失敗しないように」「怒られないように」と自分の思考や行動を制限する方向に、自分の手で自分自身を誘導することになってしまいかねません。
自分の場合、この思考のもとに、本番での緊張と失敗を繰り返すことで、より「失敗しないように」「怒られないように」という思考が強まり、本番恐怖症から抜け出せなくなっていったのだと思います。
|「失敗しないように」は自分を守るための習慣だった
とはいっても、「失敗しないように」「怒られないように」という気持ちそのものは否定する必要はないかなと思います。それはきっと、失敗をしたことで、自分自身が嫌な思いをしたり、怒られて辛かったりといった経験を重ねてきたからこそ生じたものであり、自分を守るために生まれたものだと思うからです。
先日のブログにも書きましたが、日本ではどうしても「ダメ出し」「反省会」が正義とされる風潮があるように思います。私自身も思い当たる節がたくさんありますが、部活でもテストでも失敗したことが責められ、「失敗しないように」と言われることも多いように感じます。それに加え、そもそも人間には多かれ少なかれ承認欲求がありますから、人から認められないということが起こると、”村八分”にされたかのような気持ちになることもあるようにも思います。
こうした環境の中で、失敗して嫌な思いをするという経験を繰り返すうちに、「本番とは失敗しないようにするものであるべきだ」と考える「習慣」が出来上がってしまっただけで、決してこれが一生変えることのできない運命ではありません。
国語辞書(デジタル大辞泉 [小学館])に、「習慣」について次のような記述がありました。
長い間繰り返し行ううちに、そうするのがきまりのようになったこと。
その国やその地方の人々のあいだで、普通に行われる物事のやり方。社会的なしきたり。ならわし。慣習。
心理学で、学習によって後天的に獲得され、反復によって固定化された個人の行動様式。
生まれたての赤ちゃんは、大勢の人がいるから怖いと感じることはあるかもしれませんが、「本番とは失敗しないようにするものであるべきだ」ということは恐らく思っていないはずです。
「習慣」とは、あくまで後天的なもので、経験などによって学習し、繰り返す中で自分の中で定着した思考や行動を指すのです。
ということは、さらに後天的なものとして、本番に向き合うときの新しい習慣をつくって、そちらを意図的に選んでいけるように練習を積んでいったら、また別の向き合い方ができるという可能性が誰にでもあると言えるわけです。
もちろん積み重ねてきた経験が強固なものであるほど、習慣も強固なものになっていますから、そう簡単に新しい習慣に切り替えられるものではありません。でも「新しい習慣も身につけることができるんだ」ということを知るだけでも自分にとっては大きかったですし、本気で身につけたいと思ったらできる可能性があるのだと自分自身を信じてあげることも、より生きやすい環境を自分でつくることにつながるのではないかなと思います。
|“エエかっこしいアドレナリン”が発動し始めたら?
では、どうやって新しい習慣をつくりだしていけばよいのでしょうか?
私の中で「失敗したくない」「ちゃんとしなきゃいけない」と思う場面の一つに、レッスンがあります。教えて頂いている先生は、じっくり音を聴いて起きていることを観察し、私が一人で練習できるためのヒントを一緒に考えてくださる方で、決して一方的にミスを責めたり、理不尽に怒ったりすることは全くないのですが、どうしても自分の中で培われてきたものが大きすぎて、毎回最初に音を出す時は硬くなってしまって、ボロボロになりがちです。
そこで、レッスンを想定して、ケースから楽器を出すところから始めて、音を出してみるというところまでで、どのようなことが起きるのか実験をしてみました。
まず、ケースに手を触れてみます。
・・・すでに、何だか尋常じゃない心臓のバクバク感を感じます。
ケースを開けて、楽器を手にしようとすると、
・・・脳内がこれでもかってくらい活性化し始めます。
楽器を取り出して、両手で持って、譜面に目をやると、
・・・どのタイミングで始めようか、息はどうやって吸うんだっけか、どんな曲だったかイメージがぶっとんできた、、というようにもはやパニック状態。
とりあえず頭にこれから吹こうとする音楽を流してみて、楽器を構えてみます。
・・・あれ、トランペットってどうやって吹くんだっけ?でも、もう構えちゃったし、吹かなきゃ、、とさらにパニック状態。
そんな感じで勢いに任せて吹いてしまうものだから、何だかよくわからない状態で、曲にも乗れていないし、音も響きがないし、「あぁ、またやってしまった」という状況になりました。
それを、アレクサンダーテクニークの学校であるSelf Quest Laboの授業の時に相談したところ、「それは“間違えてはいけない神様のささやき”と“エエかっこしいアドレナリンの発動”ですよ」とのアドバイスをいただきました。
トランペットの先生にも「自分が確実にできるテンポで、流れを大切に、イメージを明確に持って目一杯表現をしてみましょう」とよく言われるわけですが、確かにちょっと”エエ格好”をしようと、背伸びをしていたところがあるなということに改めて気づきました。
必要以上に自分を卑下することはないものの、今の自分ができることには限度はあります。自分は自分。それ以上でも以下でもない。そのありのままの自分が、今できる精一杯のことを自分のペースでやってみることでしかないのだなと。
楽器を手にしようとして、脳内が活性化しはじめたら、
・・・一呼吸おいて、ゆっくり自分のペースを思い出して、まずはなるがまま自然に任せてみる。
もし、出てきた音がイメージしていたものでなかったり、何だかうまくいかないなと思ったら、
・・・いったん脳内をリセットして、自分が望む方向に向かうために、いろいろ試し始めてみる。「こんなはずじゃ」とパニックに陥るのではなくて、自分の引き出しを増やしてくれるかもしれない実験を楽しんでみる。
そのためには、まずこれから演奏しようとする音楽が明確にイメージできることが必要です。その時、もちろん理想形も頭の中にあることは大切ですが、今の自分ができることと乖離しすぎていると、頭でやろうとしていることを実行するための技術が追いついていかずに、崩壊しかねません。
・・・だからこその個人練習なのだと。
個人練習で自分が理想とするものに近づくためにどうしたらよいかを実験し、修正を加え、さらに実験をしていく。そうしてできてきたありのままものをレッスンで聴いてていただき、さらに理想に近づくために自分では分からなかったことや気づけなかったこと、練習方法などのヒントをもらい、再度自分で実験する時間をとってみる。その繰り返しの中で、上達があるように思います。
“エエかっこしいアドレナリン”は、上達したい、理想に近づきたいという前向きな思いの表れでもあります。だからこそ、“エエかっこしいアドレナリン”を抑え込むのではなくて、出てきた結果を素直に受け止めて、今自分ができることをその場その場で一生懸命考え、少しでも”エエかっこしい”な自分が満足してくれる状態に近づけるように実験を重ねていくことなのかなと思います。
|「目的」と「目標」をクリアにしておくこと
「目的」は最終的に成し遂げようと目指す到達点を、「目標」は目的を達成するために設けた具体的な手段という意味だといわれます。
本来「できなかった」という反省は、必ず「そもそも何を実現させたいのか」ということを軸において、「どうやったらできるようになるか」「できるようにするには何が必要か」とセットで考えるようにするべきです。
しかし、目的が明確に定まらない中で反省ばかりを繰り返し、目標が「失敗しないこと」になってしまっているがために、なかなか思うように力を発揮することができないことは、自分自身についても、生徒たちを見ていても多々あります。
本番やレッスンでのパニックは、「自分はどんな風に音楽を奏でたいのか」という目的と、「そのために今何をするべきなのか」という目標が明確になることで、だいぶ防ぐことができるようになると思います。
冒頭に書いた「大勢の人の前でしゃべる」ときに起こるパニックも、授業ではあまり起こらないのは、「この内容を理解してもらう」という目的が明確で、「そのためにこんな授業を展開する」「生徒の反応がいまいちだったら、プランAからプランBに切り替えればいい」という目標が、下準備と経験によってクリアになっているからだと思います。
それでも、不測の事態は当然起こるものだと思って、「必ずこうでなければならない」という思考から抜け出して、「その場その場で考えて、その時に自分にできることをすればいい」と少しゆるやかにとらえていると、もっとどっしりと構えられるようになるのかな、と思ったりします。
楽器を持つと”エエかっこしいアドレナリン”が発動するという習慣は、まだまだ根強いですが、毎回楽器に触れるたびに起こることを観察して、うまく付き合っていきたいものです。