“好きなものは好き!”と言える気持ち 抱きしめてたい
私が好きな槇原敬之さんの「どんなときも。」の一節です。
世の中の高校3年生、中学3年生、小学6年生はまさに入試の季節。私が担任をしている生徒たちも大学入試真っ只中ですが、目標に向かって毎日机に向かい、努力を重ねている生徒たちの姿を見ていて、この歌詞が思い起こされました。
「好きこそ物の上手なれ」という言葉がありますが、自分自身を振り返ってみても、生徒たちを見ていても、本当によく言ったものだなと感じることがよくあります。
今日は、進路という面から、学校と部活についてつぶやいてみたいと思います。
|本気で頑張った経験は、何に対してもエネルギーに変えられる
教員になってから、たくさんの生徒たちの進路に関わる機会がありました。もちろん、高校3年生の時点で語っていた将来の夢をかなえた人もいれば、卒業してから様々な経験を通してまた違う夢を見つけて実現させた人もいますし、夢を追いかけて努力を続けている人もいます。
それでも、高校を卒業した後の、すぐ目の前の進路については考える必要がありますし、一人ひとりと時間をかけて話すことも多々あります。「何言ってくれちゃっているんだこの担任」と思われたこともあるでしょうし、お節介が過ぎたこともあったかと思います。でも、その中で自分が大事にしていることは、職業までは明確になっていなくても、自分が学んでみたいことや、どんな生き方をしたいと思っているか、何を大切にしたいか(何は譲れないか)というところです。
通信制高校やインターネットの高校が話題になっていたりもしますが、高校の進学率が98.8 %と言われている現在、日本に住む多くの子どもたちにとって「小学校→中学校→高校」というレールは、自然と敷かれたもののようになっていると思います。でもその先は、誰が決めるものでもありませんし、誰も決めてくれるわけではありません。だからこそ、自分で決めていかなくてはいけない状況になるまでに、自分自身を見つめて、自分が好きなこと、やりたいこと、大切にしたいことを見つける環境や、それを実現するために必要な最低限の知識や技術を、学校という場は提供していく必要があります。
受験生である生徒たちを見ていると、「何か興味を持ったことを、とことん本気で頑張ってみた」という経験がある生徒は、いざ目標を持てたときのエネルギーはものすごいものを感じます。その経験のすべてを学校でさせようとするのはおこがましいことかもしれませんが、子どもたちが1日の大半を過ごす学校という場で、そうした経験ができるように環境を整えていくことは、とても重要だと思います。
|何かにとことん本気で取り組む環境をつくるには?
好きなことをにとことんやった経験は、何かを頑張ろうと思ったときに「自分ならできる」という自信に繋がるものです。勉強でも部活でもその他の何でもいい。できるできないじゃなくて、とにかく好きだと思うことを本気でやるだけやって、少しでも成長を感じられたら、次に進む勇気を持てる気がします。
そして「頑張ってやってみたらできた」という経験が積み重なっていくと自信もつきますし、いろんなことに挑戦してみようという気持ちに繋がります。挑戦したいと思う気持ちをいかに潰さないか、当たり前のことのようで、私たち大人が潰してしまっていることも少なくないように感じます。
たまたま目にした競泳の岩崎恭子さんのインタビュー記事にこんなことが書いてありました。
日本ならまず注意点を挙げ、それを選手に問題点を指摘し、直してくんです。しかしアメリカではまず良い点を見て、それを褒めることからスタートします。こんなにも指導の方法が違うのかと驚きましたね
実際、教科指導でも、部活指導でも「できなかったところ」に注目をさせて、それを「改善するためにこうしろ」という指示をする場面は多いように思います。
もちろん、できていないところを目をつぶって見ないふりをしていてもいけないと思いますが、大人から常にできなかったことだけを指摘され続けたら、できるようになったことに自分で目を向けることもしなくなっていきますし、子どもが自己肯定感を持てなくなってしまいます。
まず良かったこと、できるようになったことなど、プラスの事実を伝えた上で、もっと理想に近づくためには何が必要かを考えていくことは本当に大事だなと思います。
また同じ記事には、次のようなことも書かれていました。
コーチが子どもたちに『明日は何時に集合したらいいかな? 持ち物は何が必要だとう?』と問い掛ける。そこからディスカッションが始まります。自分の考えを言葉にして伝えるトレーニングをしていくわけです
言うことをただ聞いて実行するだけなら、最新AI搭載のロボットでよいわけです。その点、自分が納得してやったことは、結果に関わらず残るものも多いものです。大人が、子どもに考える余裕をつくったり、失敗したときのフォローを丁寧に重ねていくことは本当に大事だなと思います。
「注意点を挙げ、それを選手に問題点を指摘し、直す」「決定事項を連絡し、選手は頷いてそれに従う」という”師匠と”と”弟子”の関係ではなくて、指導者が選手に対して敬意を持ち、選手が指導者に信頼を置き、互いに考え、目標に向かっていけるような関係が、教育の場においても必要な気がします。
そうした安心感が挑戦する気持ちに繋がり、好きなことをとことん頑張れる環境づくりに繋がっていくと思います。
|部活は本当にいらないのか?
最近、部活を廃止して民間に委託すればよいという意見をよく見かけます。公立小中学校については、文科省からも「地域化がのぞましい」との見解が出され、今後そのような動きが進んでいくような気配がします。
ただ、部活については議論が二極化していることが多いのが気になっています。子どもたちにとって過重な負担になったり、暴力的な指導が行われることなく(←私はこれがブラック部活だと思っています)、興味を持ったものを通して自信をつけていけるような活動であれば、必要なのではないかと私は考えています。
教員の働き方改革を含め、めちゃくちゃな指導がまかり通っていたり、部活漬けの生活になって辛いと感じる生徒たちを守るという主旨はよくわかります。確かに押し付けられたり、やらされ過ぎだったり、自由を踏みにじられる程の活動には反対です。同調圧力が働きやすい団体競技の難しさもわからなくはありません。
でも、部活を本気で頑張って、自分に自信を持てることを見つけた上で、将来の目標に向けて本気でぶつかっていく生徒たちの姿を目の当たりにすると、そういうチャンスの一つとして部活があることは大切だなと思うのです。
部活のせいで不登校になった、命を絶ったという残念な話も多く耳にします。本当に残念なことです。一方で、部活があったからこそ学校や友達と繋がっていられて、次のステップに進むことができた子どもたちもいます。
大切なのは、子どもたちが安心していられる居場所を複数つくっておくことだと思います。そして、いろんな活躍の場を身近につくっておくことだと思います。その一つとして、部活はあった方がよいのではないかと自分は感じています。
もちろん地域化が悪いことではありません。「もっとやりたい」と思う子どもたちには地域の力や専門家の力も必要です。吹奏楽においてはコミュニティバンドのような組織も増えていくべきだと思います。
しかし、完全民間委託となった場合、財源はどうなるのか、子どもたちをターゲットにした商売競争が過熱しないか、子どもたちを使って名声や利益をあげようとする大人が出てこないかなど、問題も山積みです(もちろん現状でもあることは承知です)。
ですから、好きなことに出会うきっかけとなる場は、やはり学校でも提供できたらなと思うのです。
|もちろん部活だけじゃいけない
自分は部活人間の中高生でしたが、もともと部活の顧問がやりたくて教員になったわけではありません。
苦手でどちらかと言えば嫌いだった理科。でも環境問題を考えていく中で理科の魅力や科学的な思考の必要性を伝えたくなって、理科の教員になりました。だから、部活だけでもいけないというのが私のスタンスです。
学校生活の大半を占めるのは授業です。6時間も違う科目を毎日学ぶ生徒は本当にすごいなと改めて思うわけですが、せっかくそれだけ時間をかけるのならば、授業を通しても子どもたちの自己肯定感を高めていけるようにしていく必要があると思います。
人によって興味も違いますし、全て等しくとは思いませんが、勉強嫌いになる一つの原因に「自分の理解や興味のペースに合わない」というものがあるような気がしています。だから最近は個別学習やインターネットを利用した学習が流行るのだと思います。
どうすればよいか、自分も試行錯誤しているところですが、「わかった」「できた」「人の役に立った」という経験は、意欲の向上につながっていると確信しています。そうした経験を授業でもしていけるように、考えていきたいところです(本当は当然のことなのだと思いますが…)。
いずれにせよ、「学校にすべて任せるのか」という議論にはなりそうですが、毎日長い時間を過ごす場であるからこそ、子どもたちが様々な経験を通して、自分探しをしながら自分らしく生きていく道を見つけていくお手伝いをしていくのが教員の仕事なのかなと思っています。
本当にやりたいこと、好きなことを堂々とやれるような環境を、これから社会も学校も考えていかなきゃいけない気がしています。また頑張ります。