部活でも勉強でも仕事でも、「やらなきゃいけない」という強迫観念のもとにやっていることは結構ある気がします。
もちろん本当にやらなくてはいけないこともたくさんあると思いますが、中にはやらなくても何とかなるであろうことも伝統や義務感という名のもとにやっていたりすることもあると思います。
今日は、今「やらなきゃいけない」と思っていることが、本当にやらなくてはいけないことであるのか、それをどのように見極めていけばいいのかを考えてみたいと思います。
|「やらなきゃいけない」はどこからくるのか?
「やらなきゃいけない」という思いがどこから湧いてくるのかを考えてみると、多くの場合「やろうと思っているけれど、やれていない」ということであるように思います。
すでにやれていること、やること自体に困っていないことであれば、「やらなきゃいけない」と自分を奮い起たせる必要はありません。むしろ「やった方がいい」「やることが当然」と思っていることができていないと、それを遂行するために「やらなきゃいけない」というスイッチが入るのだと思います。
では、「やった方がいい」「やることが当然」という価値観はどこからきているものなのでしょうか?
多くの場合、
- 前にやってうまくいったことがある
- 人にやれと言われたことである
- 何となくやるものだと思っている
- 暗黙の了解でやるべきこととされている
といった「誰かの経験に基づいた」要因があるような気がします。
つまり、それをやることが必ずしも今の自分に合っている方法とは限りませんし、やったことで必ず事態が上手くいくという保証はありません。
もちろんものすごい量の仕事を抱えていて、物理的に処理をすることが難しく、「やらなきゃいけないけど終わらない」という状態になることはあるかと思います。また「やってはいるのだけれどできない」という状態にあることもあるかもしれません。「やらないと人に迷惑がかかる」ということが原因になっているかもしれません。
しかし、「やらなきゃいけない」と自分を追い込まないと行動に移せないくらい、自分にとっては急を要することだったり、積極的にやりたいと思うことではないことも多々あるような気がします。
「やらなきゃいけない」という思いの底には、他人による、あるいは自分自身でつくりだした義務感が潜んでいます。まずそれに気づいておくことは大切なことだと思います。
|「やりたいこと」を優先する
「やりたいことを優先する」と言うと、自分勝手でわがままのように聞こえるかもしれません。でも「やらなきゃいけない」と思っていることよりも、「やりたいこと」をやる方が集中もできるし、能率も高くなるのも事実です。
自分は一人しかいません。だから、何か物事をやるときには優先順位をつけてこなしていくことも求められます。嫌なことを先にやってしまった方がスッキリするという人もいますし、その考えを否定する気はありませんが、やりたいことを優先してやった方が、スピーディーだし、いい仕事になることが多いように思います。
またこのように考えることもできます。
例えば、明日テストがあって、あまり気の乗らない科目の勉強をしなくてはいけなかったとします。あなたには、次のような選択肢があるとします。
- しっかり勉強して、準備が整った状態でテストを受け、いい点数を狙う
- やりたくないからやらないで、テストで悪い点をとり、追試に期待する
どちらを選ぶかは自由です。しかし、選んだのは自分が望んだ結果でもあります。
- テストでいい点をとりたい
- 今は勉強したくない
極論を言ってしまえば、選ぶ基準としては、上のような気持ちが含まれているかと思います。そして、どちらを選んだとしても、それは「自分がやりたい」と自分で選んだことなのです。
このように、どんなに気が乗らないと感じていることであったとしても、私たちが生きていく中では常に「自分がやりたい」と思うことを選択して生きているのだと思います。
そう考えてみると、自分がやりたいことを優先していくということは、普段から自分ができていることなのかもしれません。
|それは、本当に「やらなきゃいけない」ことなのか?
さて本題です。今、あなたが「やらなきゃいけない」と感じていることは、本当にやらなきゃいけないことですか?
本当にやらなければいけないことがあるとすれば、
- やらないと生死にかかわる
- やらないと生きていけない(経済的なことも含む)
- やりたいこと、なりたい自分になるためには通る必要がある(受験勉強なども含む)
といったことだと思います。
やらなければいけないことは、自分の置かれている環境にも関係しています。これは極端な例だと思いますが、普通の状況下では「人を殺す」ということは絶対にしてはいけないことです。しかし、戦争下においては「人を殺す」ということをしなければ、自分の命が脅かされてしまうこともあります。このように、やらなければいけないことは、今自分がどのような環境にいて、どのように生きていこうとしているかにも大きく左右されます。
だから、「これをすべき」「これをしなければいけない」ということは決して一律的に決まるものではありません。何か自分ではコントロールできない力に屈してやらなければいけないことも中にはあると思います。
ただ非常事態でない限りは、「やらなければいけない」という重圧に潰されそうになっているときであっても、実は本当に今やるべきことというのは自分で選択できるものだと思います。
「やらなければいけない」と自分が感じていることは、実は自分が好きで選んでいることなのかもしれません。もちろん、「やらないよりはやった方がいい」ということはたくさんあるでしょう。教師の仕事なんて、そのようななことばかりです。生徒のためを思ったら、どこまでも仕事は増えていくし、いくら時間があっても足りません。それを苦痛と感じるところまでやる必要はないですし、生徒のためと思ってやることが自分の楽しみと思ってやれるのであれば、とことんやってもいいのだと思います。それは誰かと比較するものでもないですし、誰かに比較されてとやかく言われる筋合いのことでもありません。
楽器を練習するときでも同じことがいえると思います。
- 伝統となっている部活の筋トレ
- 背筋は伸ばさなければいけない
- トランペットのベルは水平に上げなければいけない
- 腹筋に力を入れて吹かなければいけない
これらのことは、初めは何かしら意味があって行われてきたことだと思いますが、その意味を考えずにただ「言われていることだからやる」といってやっていると、かえって上達を妨げることもあります。意味を考えて、それが自分に必要なことだと判断してやるのならよいかもしれませんが、ただ決まっていることだからやるというのは、あまり意味のないことです。
冷静になぜ、自分にとってそれが今必要なのかを考えてみると、本当にやりたいことが見えてくるものです。それをしっかりやって、自分が選んだことを最後までやることで自分に自信を持つこと。それが、結果的に自分にとっても周りの人にとってもベストな状態をつくるように思います。
|まとめ
練習も勉強も「やらなきゃいけない」ことかもしれません。
「やらなきゃいけない」と思って自分を奮い立たせ、それをこなすことで達成感を得ることが悪いことでもありません。
ただ、「やらなきゃいけない」ことは何のためにやる必要があるのかを考えてみると、結果的には「自分がやりたいこと」につながっていたりすることも大いにあり得ます。
義務感に追われて何かをこなしていくよりも、自分の望みに応えるべく、自分自身が努力するということを選択してやっていくと考えていった方が余程建設的だと思います。
自分が「やらなきゃ星人」になっているなとふと感じたら、ちょっと立ち止まって、自分の本当の心の声に耳を傾けてみるのもありなのかなと思います。
「~しなきゃ」と思ったら、それをそのまま「~したいな」に語尾を変えてみる。
それだけで、ポジティブに頑張っていける気がします。
さて、練習しなきゃ。もとい、練習したいからするぞ。