審査にどう響くかより、聴き手の心にどう響くか ~BJ誌12月号の記事を読んで~

2015年12月号のBand Journal誌を読んでみました。

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指揮者の大井剛史先生が吹奏楽コンクール東京大会の講評を書いておられるのですが、自分も前から感じていたことをかなりバッサリ書いて下さっていて感激でした。
先生がいつも仰っている「よい音、よい音楽が聴きたい」という想いが根底にあるコメントだなと。惜しくも代表に選ばれなかった学校でも美しい音楽を奏でようとしていることが伝わる演奏、心を揺さぶられるような演奏もあったということを丁寧に書かれておられた反面、全体的な傾向としてコンクール受けを狙っていたり、やたらに爆音であったり、自己完結してしまっている演奏だったりというところに切り込まれていて、いろいろと考えさせられました。
こうして考えてみると、コンクールの採点をする審査員の先生は本当に大変だろうなと思います。朝から晩まで演奏を聴いて、コメントを書き、採点基準がぶれないように集中しながら点をつけるわけです。模範解答があって、正解かどうか○×をつけるだけのテストでも採点は大変なのに、それと比べたら、その労力は並大抵のことではないように感じます。
審査員も人間だし、根底にあるものは共通していたとしても、特に何を大切にして基準をつくり採点するかは人によって少しずつ違うものだと思います。だから同じ演奏に対してでも評価が大きく異なる場合も当然ながらありえることです。
これは聴衆がどう感じるかということとも同じような気がします。
だからこそ、審査にどう響くかではなく、聴き手の心にどう響くかを考えたいものです。
確かに、何か特別なことをして心をつかむ方法もあるかもしれません。かくいう私も「曲の初めが肝心。いかに最初で惹き付けるかで、その後を聴いてもらえるかどうかが決まる」と中高時代から言われてきて、指導をする上でもそう言ってきたところはあります。
でも一番大切なのはそこに心を動かされるような音楽が流れているかどうかなのだと思います。
演奏会であってもコンクールであっても、音楽を奏でていることにかわりはありません。どんな人が聴いても素晴らしいと感じる演奏ならば評価もされる。
小手先のコンクールテクニックに走るのではなくて、たとえ評価に結び付かなかったとしても、たった一人でも誰かの心に届く演奏ができたとしたら、自分たちがやれる精一杯のことをやってきて、ステージの上で全力で奏でて得られた結果ならば、それは堂々と胸を張っていいことなのだと思います。
どのチームにもドラマがあります。もちろん素晴らしい演奏ができたに越したことはないけれど、想いのこもった演奏は必ず人に伝わるはずです。それをどう実現していくか、課題はそこのように思います。
先日行われたアンサンブルコンテスト地区大会の閉会式で「最近、吹奏楽の世界が賞ばかりにこだわっていっているような風潮があるのが残念。音楽は一生もの。そう思って取り組んでほしい」といった主旨の講評がされていました。本当にそうだと思います。
賞や順位をつけることが悪いとは決して思わないけれど、それだけになって中高で燃え尽きてしまうのはとても残念なことです。音楽はその先が面白くて、ゴールのないものなのですから。
それだけに、大井先生が書かれていたように、「爆音ではなく美しく響く音」「人間味溢れる音楽」を奏でること。自分も常に目指したいものです。それは必ず誰にでも響くものだと思うからです。
そして一人でも多くの人の心に届く演奏ができるように、時間はかかるかもしれないけれど、日々研鑽を積んでいけたらいいのかなと思います。
これからソロコンテストやアンサンブルコンテストの季節になってきますが、出場されるみなさん、指導される先生方に、大井先生の記事をぜひ読んで頂き、勝利至上主義ではなく、音楽至上主義で頑張ってほしいなと思いました。

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