辛さ・苦しさを耐えないと上手くなれないのか? ~吹奏楽部は運動部?~

「吹奏楽部は運動部」
「吹奏楽部は体育会だ」
確かにそういった側面はあるかもしれません。
でも、「吹奏楽部は運動部」がまかり通ってしまう現状にはやっぱり違和感があります。
もちろん、運動部で求められるような練習への姿勢も必要なことだと思いますし、最低限の規律や上下関係も必要なことだとは思います。
ただ、その厳しい練習がやっている本人にとって辛く苦しいもので、それを耐えることこそが上達への道という考えは素直に納得することができません。
苦しみや辛さを乗り越えないと上手くはならないのでしょうか。
忍耐力の強い人だけが上達することができるのでしょうか。
私は、本当に上達していく人というのは、好奇心を持ち続けられる人のように思います。本当に好きで楽しいと思ってやっていることは、どんなに困難な課題であっても、ゲームをクリアしていくような感覚で乗り越えていくことができるのではないかと思っています。
このように書くと、「甘い!」と叱られてしまいそうな気もしますが、苦しみや辛さを強制されてやり続けた所で、本人が音楽の楽しみを感じることができなかったら、その場しのぎで終わってしまいかねません。
例えば、「コンクールで勝つ」ためには、指導者が絶対的権限を持っていて、その人の命令に忠実に従って軍隊のように統制のとれた練習を積み重ねることが早道なのかもしれません。
でも、一人ひとりの音楽力を向上させるなら、一人ひとりが考える機会、失敗する機会も大切にしながら練習していくことができれば、その子の音楽はそこから始まって、人生を豊かにしてくれるものになっていくように思います。
コンクールはじめ、「吹奏楽部は運動部」議論についていろいろ考えてみると、自分は吹奏楽部顧問には向いていないのかもしれないと思うことがあります。生徒にとって何がよいのか見失いそうになることもあります。
でもやっぱり、
自分は目の前の結果よりも、一生音楽や楽器が心友になれるような活動を目指したい
その思いに変わりはありません。
どうにかして両立させる道を探しながら、信念は貫きたいものです。

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